東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ひだり・・・3

おはようございます。

 

右と左の漢字は、どちらも手に由来し、それぞれ役割は違うが、どちらも神を尋ねる意味合いがあるという。

姿を隠している神に対し、右手に祈りの文を入れた器を持ち、左手にはおまじないの道具を持ち、呼び寄せたり、いるところを尋ねていき、出会い、たすけてもらう。

 

神に祈るという言葉はよく聞くが、これほど積極的に問いかけていく様子を意味しているとは驚きだ。

それだけ、古の時代には神を畏敬しながらも、身近に感じていた文化があったのだと思う。

 

たすけてもらうとは、神に何かやってもらうとか、与えてもらうという事ではないと思う。

真理を尋ねるという姿勢に対して、何らかの方向性を示すといった事のように感じる。

 

何年か前に、師は神という字は本来は神であり、示すという字に申なのだと仰っていたが、正にそうなのだと思う。

あらゆる生命体は偶然生じたのではなく、創造主(神仏)があって生じたのであり、その創造主の理念の指示性というのは、いつの時代にもどんな世界にも貫通しているのだと思う。

だから、生きていられる。

自我優先の自分の心には、そういった実感は湧かないかもしれないが、からだはしっかりその指示性を感じて受け取っている。

だから、自分の意識の及ばないところでも、からだは自律している。

それによって、自分も生きていられるのだから有難い事だと思う。

 

そのからだのききわけている感覚を、自分も共有する事ができれば、これほど確実に健康の維持、増進に役立つことはないだろう。

そのカギは従来の既成概念を覆す「ひだり」にある。