毎朝、コーヒー屋に行き、コーヒーを淹れていただく。
「好みの味があったら言ってくださいね」と声をかけていただくけれど、
いつも豆の種類はお任せにしている。
酸味が効いていたり、苦みが効いていたり、
日によって変わる風味はどれも美味しく感じられる。
飲む度に、今日はこの風味だったんだなあ、と素直に感じられること。
「からだ」に対しても、今日伝えようとしてくれていることは、
こういうことだったんだね、と素直に感じられること。
そんな「からだ」を、自分の意思が越えてしまうことは度々ある。
伝わってくることを受け取る前に、こちらで修正してしまう。
いつの間にか自分好みの色を「からだ」に重ねてしまっている。
その度に、まっさらな状態に戻してくれるのは、「からだ」そのもの。
そして、「からだ」から発せられた師匠や同志達のことば。
「いただいている」ということは、共鳴しているということ。
語る「ことば」はみな違っていても根っこは同じ。
「からだ」は振動を感覚してくれている。
感謝につながるわけはここにあると思う。
2021年秋季フォーラム
2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催