おはようございます。
アートに関してのテレビ番組をたまに見るが、何でこれがアートなのだろうかと思う事がある。
実際に現物に目で触れてみると、何かまた違ったものになるのだろうが…。
現代アートと呼ばれるものには、そうしたものが多い。
現代アートの先駆けとして、よく名前があがるのがマルセル・デュシャン。
デュシャンは、元々は油絵を描く画家だったが30代半ばくらいで絵を描くのを放棄してしまったという。
それからは、小便器を横にして署名しただけの作品に代表されるような、既製品に少し手を加えたような作品をつくるようになった。
その狙いは、それまでのアートの常識を覆す事。
デュシャンは、それまでの絵画に代表されるアートを網膜的絵画、つまり鑑賞者は目から入る刺激をたのしんでいるだけと評し、そうではなく鑑賞者が作品に触れることによって鑑賞者自身が作品をつくりあげる、そんなアートを提供しようと考えていたのではないかと思われる。
だから、わだわざ作者のセンス、技量の巧みさといったものを消し去るようにして、鑑賞者が作品に触れた時、どう感じ、それをどう想像し、そこからどう創造するか、それぞれの鑑賞者が、それぞれに作品を作りあげられるよう図っていたのではないだろうか。
このようなやり方は、アートを捉えどころの無いものとしてしまい、当然、批判も多かろうと思う。
しかし、一方的に受取るだけでなく、それをどう感じ、想像して創造していくという事は大切な事だと思う。
特に今は、高度にコンピューター化が進み、AIがデータ分析してつくったものをそのまま受取るだけという風潮も多くみられる。
しかし、生身の個人個人が感じ、想像し、創造したものは絶対に必要だと思う。
そうでなければ、人間が人間でなくなっていくような気がするし、せっかく様々な能力と可能性を与えて下さっている此の世の創造主にも申し訳が立たないような気がする。
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