その日の空を見上げること。
空気を介して、皮膚で感じられる変化を味わうこと。
太陽の光や雲、風や水、ときには虹など、とても惹かれる自然現象との出会いがある。
なぜそのような現象が起こるのだろうかという理由は、「からだ」の植物的感覚をとおして触れられる「からだ」の記憶へとつながってくる。
そんなときは、ほんとうに「植物」になっているかのような感覚を味わえるとき。
些細な変化に悦びを感じられることは、好きだからという理由よりも、もっと深いところでつながっている感覚なのだという気がしています。
宇宙にある地球という大循環そのものの中で、他の生物と共に、人間が大地環境の場に生かされているということ。
自らの意思で動く前に、その環境には何があって、その環境から何をいただいているのか、を感じ取れる「からだの表現」がある。
「息」をいただき、「からだ」によって表現される「からだのうごき」があり、継続的な「からだの学習」をとおして感覚を共有していける。
「からだ」がききわけてくれている感覚には根っこでつながっている感覚の素がある。
植物の在り方と「からだ」の中の「植物」は共鳴しながら、そのようなことも伝えてくれるのです。
「植物」というテーマをとおして、操体を語ることは真理を語ることだと、「からだ」は語りかけてくれます。
継続進化中の操体において、点と点が線になって貫通したとき、真理が真理の力で立っている、と感じられるように学んでいきたい。
新鮮な感覚を「からだ」で共有することは、共に生きることにつながっているのだ、と「今の自分」は想うのです。
一週間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
岡村実行委員からのバトン(とタスキ)を寺本実行委員に委ねます。
よろしくお願い致します。
明日からも、どうぞお愉しみに!