東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

海(2)

私は品川区戸越で生まれました。2歳まで戸越にいて、当時は大井町線にのって二子玉のグラウンドによく行っていたそうです。
この頃から三茶近辺に縁があったのかと思うと何だか笑えます。
 
2歳で越したのが千葉市の団地で、8歳の時、同じ千葉市内の幕張に引っ越しました。
 
この団地は、園生貝塚の近くにあり、貝殻と赤い土器を拾ったのを覚えています。
また、山を切り崩して作った団地なので、沼がありました。父がよく沼まで散歩に連れて行ってくれたのと沼でザリガニを釣ったことを思い出します。
 
数年前東京国際仏教塾のイベントで近くに行きましたが、当時の面影はあまりなく、団地ってこんなに小さかったっけ?みたいな。。
 
この時、千葉市の埋め立て側は新築ラッシュで、小学校がバンバン建てられ、うちのような核家族がどんどん引っ越してきて、毎日転校生が入ってくるような、そんなところでした。
今でこそ幕張メッセとかすごい建物が建っていますが、当時は海浜幕張どころか、幕張本郷の駅もなく、電車に乗るにはバスで津田沼まで出なければならなかったのでした。
そして、勿論幕張メッセなどはまだ存在せず、現在の国道14号線のすぐ横が海岸線だったのです。
 
学校も埋め立て地の上に立っていたので、校庭を掘り返すと面白い石が沢山出てきました。
また、体育と言っても確かまだ体育館ができていなかった記憶があり、体育の時間に海岸に行ったりしました。
そして、丁度羽田から飛び立ったり降りたりする飛行機の航路の真下だったので、海と飛行機を毎日見ていました。
 
海の側に住んでいるという実感はあまりなかったのですが、海はいつも側にあったんだなと思います。
 
今は西葛西ですが、距離的には幕張から50キロ東京に移動しただけで、やっぱり海の側です。側と言っても、歩くと30分かかりますが、バスや車ならあっという間に臨海公園です。