おはようございます。
唯物論的な考え方が優位であれば、私たちの身体も単なる肉体になり下がってしまう。
その肉体は、60~70兆個の細胞から成り立っている。
あまりの数ゆえ、この事実は漠然とした数字として受け止めがちである。
しかし、改めて考えてみれば凄い事なのだと思う。
これだけの数が、調和に向けて常に結びついている。
その目に見えない結びがあるから、人間として個を保っていられる。
目に見える(確認できる)表面的なものだけが全てではない。
肉体を構成する一つ一つの目に見えるものも大事だが、目に見えない結びもそれ以上に大事だと思う。
では、その結びは誰が定めたのか?
そう定めたのは、当の人間ではない筈。
人間を超越した存在が自在しているからなのではないだろうか。
橋本敬三先生の「この生命の源となる神仏から隔絶して自己をとらえてはならない」という言葉も、そうやって考えていくと腑に落ちてくる。
操体を学ぶ私たちが、身体と漢字で書かずに、からだとひらがなで表現したくなるのも、物体的なものだけでなく、それを陰で支える結びやその法則性といったものを重視し、そこに神性を感じているからなのだと思う。