おはようございます。
今回のテーマは「うらおもて」ですが、このテーマをはじめに聞いた時に脳裏に浮かんだのが、橋本敬三先生の唯心的な生命観、世界観でした。
この独特な生命観、世界観は、三浦寛先生が修行時代に、折に触れてよく話されていた事なのだと聞く。
操体法~生かされし救いの生命観~という本の中から、その一部を抜粋します。
肉体を自我だと思い込み、あるように見える現象や、現象として写し出される存在のみが実在だと信じている限り常に自己防衛の恐怖から逃れることはできない。
五感に映る肉体のみを生命と思い込んではならないのである。
この生命の源となる神仏から隔絶して自己をとらえてはならない。
神仏と一体になれることは無限の富の後継者なのである。
神は自分の像(似姿)のごとく人間を創りたまえけりとある。
つまり見返りを求めることなく無条件の愛のもとに神の喜びとして創造した生命だというのである。
神と人間は神人合一の立場にあるのだ。
新約聖書エペソ伝第二章に、世の創の前より我らをキリストのうちに選び、愛をもって我が子となさんことを定めたまえり、とある。
このことは、この生命は天地創造より前から生命そのものである、ということを宣言しているのだ。
人間の生命そのものは生まれる前から救いが完成されている命である。
この救いとは絶対であり、絶対の無罪宣告であり、神性相続権である。
唯物論的な考え方が主体の今の時代では、橋本先生の上記のような生命観、世界観というのは理解しがたいかもしれません。
一般的な認識の表と裏が逆転している訳ですから。
しかし、理屈でどうこう言うよりも、人間の尊厳とか、人間としての自信とか自己肯定感とか、唯物論的考え方よりも唯心的な橋本先生の哲学の方が、幸福な生き方にとって有用と思えるのです。