おはようございます。
「ウラかオモテか」と選択を迫られると、白か黒かというような相対するような発想になりやすいと思う。
白か黒かということでいえば、師匠が黒と言ったら白いものでも黒になるというのが思い浮かぶ。
これは一見、師匠が無理強いをしているような印象を受ける。
しかし、そうではなく、弟子の了見の狭さに対する指摘であったりする。
白いものも光が当たっているところは白く見えるが、光の当たらないところは闇と同化して黒く見えるように、環境や状況に応じて変化しているわけであり、観点が変われば白いものも黒くなる。
自分の固定観念での決めつけで、色付けするのではなく、本質や真理と向き合えという意味もあると思う。
本質と向き合う姿勢になってくると、裏と表も相対して両立しているという一見の固定的捉え方ではなく、調和した一つのものが2面性を表しているという捉え方も育めてくる。
環境に適応しながら、どちらも陰になり日向になり支え合っている。
これは心とからだの関係性にも当てはまり、そうあるべきだと思うが、大抵は心の自分本位となっているのではないだろうか。
そういう意味でも、操体で昔から重視している、からだにききわけるという事は大事であると思う。