操体の創始者、橋本敬三先生の遺した文章のなかに、「人間悲願の達成へ」という味わい深いものがある。立石電気(現在のオムロン)がSINIC理論を基に描き、昭和46年に「プレジデント」に投稿した「社会進歩曲線」が傍らに掲載されているのが印象的だ。
(SINIC理論も進化して、当時の曲線よりも立体的な動態として感じられる)
20の項目から成り立つこの言葉の連なりは、操体を学ぶ上でひとつの指針のようなものになる。学んでいることが、今どの段階にあるのか、橋本先生と言葉を交わしながら確認しているような気持ちになる。
書かれたのが昭和52年。今から40年以上前に遺された言葉ではあるけれど、人間の未来を見据えて書かれたであろうこの文章は、色褪せていない。
『1、生きる限り、快適に満足して、充分に生きたい。』
という1文から「人間悲願の達成へ」ははじまる。
この短いワンセンテンスによって「人間悲願」というものを見事に集約して表現していることに改めて驚く。
人間にとって「平均寿命」がいくら延びても重要な要素が欠けていることをこの頃から見据えているように思う。生きるなら、健康なからだで、寿命を全うしたいという健康寿命の概念が既に文中に内包されている。
そして、最後の20番目に、知っている人は知っている有名な1文がある。
『20、しかし、このメカニズムを可能にも不可能にもする超エネルギーは確かにある。その制御の見通しは未だ立たない。』
19の項目を通じて、ひとつひとつたどってきた人間悲願の達成に向けた軌跡。
その最後に遺された文章だが、確認してきた足跡をひっくりかえすような可能性と不可能性の存在を暗示して終わっている。
以前は、この最後の文章がだいぶ飛躍した内容のように感じられていた。
なんで橋本先生はこのような謎かけのような文章を最後に遺したのだろうと。
でも、気が付いたら、現在、操体を通して学んでいること、
「新重心理論」はこの20番目の文章と無関係ではない、と素直に思える。
橋本先生が予感していた新しい学問の可能性と新重心理論をこの文章はつないでくれている。
「人間悲願の達成へ」もこの20番目の項目を踏まえて、また新しい輝きをもって現代にリロードされる可能性を感じている。
一週間ありがとうございました。
明日からは友松さんの投稿がスタートです。
どうぞ、おたのしみに。