おはようございます。
先月お亡くなりになった松本零士氏の作品の中に「銀河鉄道999」,という漫画がある。
この漫画は、主人公の鉄郎という少年が機械の身体をもらうために、メーテルという謎の女性と共に銀河鉄道の999号に乗って、銀河を旅する物語となっている。
鉄郎は永遠の命を得る為に、機械の身体がほしいと望んでいた。
しかし、機械の身体を提供してくれる星に到着し、実際に機械の身体となった人間を見て、愕然としてしまう。
そこには、機械の身体を手に入れ、永遠の命をもったが為に、生きる目的や意義を失い、自堕落した生活に陥った人々や、時間を持て余す事に悲観して自殺してしまう人の姿があった。
それを目の当たりにした鉄郎は、機械の身体で永遠の命となるより、限りある命を精一杯生きる方が幸せなのではないか、と考え方を改めるようになる。
このシーンを、テレビアニメで観ていたのは、小学生の頃だったが凄く心に突き刺さるような感じがしたのを覚えている。
このテレビ放送は、1970年代だったが何か令和の今の時代への問いかけのようなものを感じる。
1970年代に比べて、今は平均寿命が随分と伸びている。
また再生医療も進歩し、将来は機械の身体などではなく生身の身体で、永遠の命を手にする事も可能となるかもしれない。
しかし、それが幸福な事かといったら、一概にはそう決めつけられないと思う。
肉体が永遠となれば、生命も永遠であり幸福というものでもあるまい。
心というものがあるのだから。
この肉体を、自分のものとしている自我だけが心なのではない。
自我を取っ払ってしまえば、この肉体は大自然から、有難くお借りしているものなのである。
十分に生きて、いつか大自然にお返しするものなのである。
そして、此の世を十分に生きたなら、彼の世に帰っていくのであり永遠のいのちなのである。
だから、十分に生きるために、生かされし自然の理から学び、健康で愉、快に、少しでも長持ちさせて生きていく必要があるのだと思う。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
来週は畠山裕美先生の担当となります。
どうぞ、おたのしみに。
友松 誠。