おはようございます。
先月、テレビのニュース番組を見ていて漫画家の松本零士氏の訃報を知った。
番組では10分くらいの特集を組んでいて、松本氏の作品である「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」の紹介や、生前のトークショーの時の模様などが放映されていた。
番組の最後では、後世に何を残していくべきなのかとして、以下のような直筆の色紙のメッセージが添えられていた。
人は死ぬために生まれてくるのではない、生きるために生まれてくるのだ
松本氏の子供時代には戦争があり、父は戦闘機のパイロットをしていたので、戦争の悲惨さをよく聞かされていたという。
だから、この言葉には命の大切さや平和の尊さ、平和への願いが込められているという。
そうした平和への願いの他にも、この言葉には、どう生きるかという問いかけが、含まれているようにも感じる。
人は生まれてきたからには、いつかは死なねばならない。
これは変えようもない事実である。
この変えようもない事実から、どうせ死ぬのに何で毎日毎日生きなければならないのか?と疑問を持つ人も少なからずいるという。
それだけ生きるのを辛く感じているのかもしれないが、あまりにも短略的すぎる感はある。
生きていれば辛い事、悲しい事、不満、不公平感、自分を苦悩させる様々な事がある。
それでも、現に生きて自分自身が存在している。
苦悩していても、現に生きているという事は、それだけ生かされているという事でもある。
自分で生きているという想いばかりでは、理想と現実のギャップに苛まれる。
その苛まれる理由は、人為社会的環境に於いての自分を主体として想うからであろう。
しかし、空間に在る自然環境の構成要素と自分のからだは、自分の想いがどんなでも全肯定して生かしてくれている。
心の目を向けるべきは、そちらであり、これほど生きる自信につながるものはないのではないだろうか。
人為、社会的環境というのは、どうしても比較対象を生み、その比較対象から自信をなくしたり、不平不満に苛まれたり、生きるのが辛くなったりする事もあるだろう。
しかし、それでも有難く生かされている。
橋本敬三先生の言葉をお借りすれば、元々救いの完成されている生命なのだから。
そちらに目を向け、感じてみる。
これは、健康、長寿の大敵である心的なからだへのストレス、息(生き)苦しさを無くしていくことにもつうじると思う。