おはようございます。
進化という事柄について、私は3つのことが思い浮かびました。
一つには、環境に適応する為に自らの生態を変化させる。もう一つは、環境をよりよく共存共栄の世界へと自ら変えていく智慧とテクノロジー。そして、もう一つ挙げるとしたら、自然環境に自在する自然法則の究明、原究、そして応用、貢献のあり方にあると思います。
世の中に自然法則と呼ばれるものは色々ありますが、大切なのは生き方の自然法則。人間の生き方にも自然法則が自在するのです。これは生かしてくれている「環境」と、人間が最小限責任をもって自分自身で営まなければならない生命活動である「息、食、動、想」の生命力学の生かされしバランスを説いたものです。
この生命力学のバランスが崩れれば、健康は保てなくなります。逆に、調和したバランスであれば健康は維持されます。そして、更にバランスを善導して健康増進に向かわせることも可能なのです。
人間のからだの設計にミスはなく、自然環境の変化に適応できる能力も、元々備わっているのです。しかし、人間の場合は知識もありますから、自然環境に手を加えて暮らしを便利にしてきたのは良いのですが、時代が進むうちに便利が当然化し、だんだん本来の能力は使われずに錆びついてきた感があります。そうなると、からだとの協調性は薄れてバランスを崩すことにつながります。
やはり、この世に生きている限り、からだが無ければ生きられないのです。そのからだを自分で錆びつかせて上手く動けないようにしていたのでは、からだの全体的な調和や心とからだのバランスをも崩してしまい、健康は保てなくなってしまうのです。
最近は、それほど病んでいるというふうに見えなくても、何をするのでも億劫で疲労感が抜けないといった感じで、自分から病気をつくりだしているというふうに見受けられる人が増えてきたように感じます。
これも、自然環境よりも人為的、社会的環境への適応を優先してきた、生き方の時代背景を反映しているように感じます。そこに共通するのは、自分とからだをかけはなし、からだは道具のように扱い、自分勝手な使い方をして、頑張ってきたという事。
からだは自然環境というイノチに生かされ、自分はからだに生かされて生きる存在でもあるのです。からだの使い方にだってルール、自然法則が元々在るのです。
そういったことを蔑ろにしては、この時代やこの時代以降に生きる人達は、絶えずアンバランスによる色々な不調を抱えて生きるというような、生命力の弱体化が生じても不思議ではないのです。
今、求められるのは、生き方の自然法則に基づいた生活(生命活動)に改めていくことであり、これもよりよく環境に適応する為の進化だと思います。
操体は自然法則の応用貢献にあるのですから、これから益々その役割は重要になっていくと思います。