おはようございます。
心とからだ。からだは、心の状態に合わせてくれている。からだの歪体化現象も、その心の状態にからだが対応し変化してくれている、という捉え方もできる。しかし、心はどうだろうか、からだの要求に応えてあげられているだろうか。
何か、精神的に落ち込んだ時というのは、からだもクタッ~となる。クタッ~となって合わせてくれている。合わせてくれているのだが、ただ合わせているだけではなく、間をはかっているような感もある。精神的に落ち込んで心身ともにクタッ~となっても、からだの方が先に無意識の内に姿勢を正そうと、何らかの行動を起こすように感じられる。
伸びをしたり、立ち上がってみたり。そうこうしている内に心は落ち着きを取り戻して、前向きになってくる。まるで、はじめに慰められ、そして元気づけられて背中を押してもらっているような、そんな感じを受ける。
感覚をとおして、からだに向き合うと、その様に感じるのが自然だと思う。本当に気分が落ち込んでいる時というのは、自分の意思により、伸びをしろとか、立ち上がれとか、からだに指示したり命令する余裕なんてない筈なのだ。からだが、より良く生きられるように働きかけているのは、確かな事だと思う。
心とからだは1にして2、2にして1。からだだって心が落ち込んでいれば、ツラクなるのだと思う。だから、何とか生きる意欲を取り戻せるようにと働きかけてくれる。
心もからだの声にもう少し耳を傾ける必要があるのではないだろうか。からだがイタイとかツライなどのサインを送ってきている時は、尚更なのではないだろうか。
この、からだのサインを無視してしまうという事が、心とからだの不調和を招き、ネガティブなエネルギーを宿す一因でもある。
からだのサインを無視する、その心。その心は、からだの有り難い働きなど当然の事として捉え、自分の道具のようにしか、みていないのではないだろうか。
一番身近で、自分の一番の理解者であり常に協力的な存在を、あまり文句を言わないからといって都合のいい道具のように扱う、その心。その心をもってすれば、からだがいつもどおりいかなくなった時、もの凄く不満だろう。その我儘勝手な心がネガティブなエネルギーにつうじる。
言う事を聞くしかない弱い立場の人を虐める、無抵抗な子供を虐待する。これらは、からだを道具のように扱い、壊しても自分に非はない、とするような人から生じるネガティブなエネルギーの暴発とも思える。
今回のテーマである「ネガティブなエネルギーから身を守る」それは外部からではなく、まずは内部、つまり自分の心の在り方が重要なのではないだろうか。
今、生きているという事は、生かされて生きているという事であり、自分一人で生きている訳ではない。生かしてくれている一番身近な存在は、からだであり、からだにもパーソナリティを認め、偕に生きていく、そんな姿勢が求められるのではないだろうか。
2016年春季東京操体フォーラム 4月29日(金)昭和の日 開催決定
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