グリーンインフラで提案していることのひとつに、降り注ぐ雨水を下水道に流す以外の方法を取り入れていくというのがある。
例えば、都市部に降り注いだ雨のうち、道路や舗装された歩道のコンクリートに着水した水はそのまま地中にしみこむルートを辿らず、路面の排水溝などを入り口として、地下の水の管に吸い込まれていく。
人間が掘って埋め込んだ地下のパイプ網に集約されていく。この人工の下水道への雨水の流入を何かしらの方法で減らしていくことはできないかという眼差しだ。なぜなら、この人工の管のキャパを越える水の流入が起こることで都市河川の氾濫や道路の冠水などが起こる可能性があるからだ。
これは言われてみれば当たり前のことだけれど、今回学習するまで、こういった水の流れに意識を及ばせることがあまりなかったことに気が付いた。思っている以上に、人間の生活は人間の手によって、管理されているのだ。
土埃が舞う地面が露出していた時代は、その地表に雨が降れば、地面から直接地中に雨水が浸透していく流れが存在していた。
着々と都市化をすすめてきた現在は、地表をコンクリートなどで覆ってきた結果、車も走りやすく、ヒトも歩きやすくなったが、代わりに、地中に浸み込んでいかなくなった雨水の行方を人間が管理する必要性も生まれてきた。天から地に素直に水の流れが循環していたところに、人が介入して、その流れが変わってきたのだ。
自然の元々もっている循環の道筋の途中に、人間の営みがその流れを変えるような関りを与えている。ある面においては素直な流れを遮っているようにも感じられる。
人間の智慧で生活を豊かに、便利に、合理的にしていこうという試行錯誤が行われてきたが、なかなか自然に本来備わっている流れや循環の可能性には届かない印象がある。
なぜなら自然には多面性が宿っているからだ。この多面性を観察し、理解し、評価し、そこから何か営みのなかに応用貢献していけることがないか模索するのが面白いのではないだろうか。
グリーンインフラの眼差しは、そういうことを再確認し、再評価し、実践することにつながっているから、これからのヒトの創造的な営みとして大いに可能性を感じ、いいなぁとしみじみ思うのだ。
そしてこういったことを通して感じることは、そのまま、からだのことにも重なってくるように感じられる。
雨が降ったあと、道路でうねうねして土に還れないミミズをみつけてつまんではそんなことを考えている。