「あっ、なんかいい風」。
「からだ」の外側の「くうかん」からのメッセージをキャッチするときって、こんな感じなんです。
「感じよう、感じよう」と気負わなくても、ふっと意識が向くような間(マ)があります。
こういうときは、「感覚」と「意識」の基準が「じぶん」から「からだ」に変わっているのを感じます。
「感覚」と「意識」の基準が「からだ」になると、「からだ」と「じぶん」の間の摩擦が消えて、「重さ」がなくなってくる感触があります。
なんの引っかかりもなく、水がすうっと流れていくような感じを、「からだ」の内側の「くうかん」からのメッセージとしてキャッチすることができる。
「息がしやすい」とか、「飲み込みやすい」とか、「動き(行動)が軽い」とか、「まずやってみる(迷わない)」とか、具体的な変化として現象化してくる間(マ)がある。
環境との関わりと、自己最小限責任生活である息・食・動・想において、人間はもっと「からだ」を信頼していいし、「生命」を自覚していい。
「からだ」の外側と内側の二つの「くうかん」がメッセージを届けてくれるからです。
けれども、わたしたちは現状、思考が先行する社会で、どうしたって「からだ」にとって「不自然」なことや「無理」なことを強いたり、強いられたりすることがあります。
社会との関係において、人間関係において、「からだ」との関係において、摩擦が生じることの方が多いかもしれません。
それでも、その現状との接点において、「からだ」にとって「自然」な方向に快転していける感覚-原始感覚-を、わたしたちは「からだ」と共有していくことができる。
目には見えないけれど、確かに感じられる間(マ)はあります。
その間(マ)を生かしていくこと、それは、今わたしたちが学んでいる重力と重心のバランスにおいて、健康維持増進を可能にする大切な要素だと感じています。
現在、その学びの中で特に感じていることについて、続きは明日にします。
2024年秋季東京操体フォーラム「もっと丸ごと操体法」を開催致します。