「からだ」の外側と内側にある二つの「くうかん」。
それぞれの間(マ)を生かすうえで、これは大事だなと感じていることがあります。
それは、「意識操作」を減らしていくことです。
今わたしたちが学んでいる重心の適性にかなった「呼吸」や「うごき」では、以前ほど「意識操作」を用いなくなってきています。
直接「呼吸」に意識を置かなくても、「息が入りやすい」と感じられたり、直接「うごき」に意識を置かなくても、「ながれで表現できている」と感じられる。
それは、「からだのリズム」で表現されていることを意味します。
「からだのリズム」で表現されているときは、「からだ」と「じぶん」の間に摩擦が起こらないんです。
故に、消耗しないんです。
操体臨床の場ではもちろんですが、それ以外の仕事や生活の場でも実感する機会が増えてきました。
そして不思議なのは、「からだ」と「じぶん」との関係性がそのようになってくると、周囲との関係においても摩擦が少なくなる実感があることです。
社会との関わり、人との関わりを特別意識しなくても、そこに何か接点を見いだしたり、その接点にある間(マ)を大事にできている感触があるんです。
「からだ」と「じぶん」の関係性は、周囲との関係性にも直結している。
二つの「くうかん」との関わりを自覚することは、よりよく生きることにつながっている。
「意識操作」を外すと、もともとある間(マ)を生かして、新たな間(マ)を生みだしていくことができる。
こんなふうに実感できるのも、「重心の学習」の基本となる立ち方と間(マ)の生かし方のお蔭なんです。
明日に続きます。
2024年秋季東京操体フォーラム「もっと丸ごと操体法」を開催致します。