(つづき)
毎日のように手作りのプランターコンポストに野菜や果物ののこりかすを与える日々。
コンポストという生き物の集合体にご飯をあげて育てているような気持ちになります。
不思議なことですが、こういったことを繰り返していると、コンポストが自分のお腹のなかのスペースのことのように感じられてきます。直接自分の胃や腸のことを考えるよりも、せっせと有機物を分解している土壌微生物の営みを見ていることで、からだのなかにあるくうかん、内臓のことが意識に浮かび上がって来るような感覚です。
「あぁ、お腹の中にも1000種類くらい微生物が住んでいて、増えたり減ったりしながら、自分が食べたものをいいように始末してくれているんだよなぁ」とふと思うのです。
土壌微生物が織りなす環境と体内の腸内微生物の働きのことを自身の経験を基に一冊の書籍にまとめ上げた大作「土と内臓(デイビット・モントゴメリー、アン・ビクレー著)」があります。からだのことに興味のある方にとっては有名な一冊かと思います。私も事あるごとに目を通してはふむふむと読んでいて、最近もまた目を通しています。
上記の著作が興味深いのは著者の実体験・観察と実験が積もり積もったものが言葉になっているからだと思います。
こうして自分も、自分なりにではありますがいろいろ試して、観察のようなことをしていると、自分のことなんか忘れて、働き者の生き物たちの世界に夢中になるのです。
これがまわりまわって、目にみえない内臓のなかに住んでいる微生物の様子のことに重なり、このくうかんのことが気にかかってくるのです。
自分から離れて自分以外の生き物たちやそのくうかんのことが気になってくると、「お腹のあたりが重いなぁ」という変化もからだからのメッセージもしくは、からだの営みを支えている多種多様な生物たちからのメッセージのように思えてきます。
自分が食べているという「食」の営みから、今日はお腹のなかの『コンポスト』に入れすぎちゃっているかもなぁ、と感じるような内臓環境主体の「食」の感じ方があっても面白いのではないかと思うのです。