畑、コンポスト、お腹のなか
土いじりや日々のコンポスト観察、またからだのなかの目にみえない腸内微生物のことに興味を向ける機会が増えて、大小様々な規模ではありますが、それが自分にとっては自然なるものに触れている、自然なるものを感じている、生き物と接触している機会になっていると思います。
一日のなかで自然なるものに対して意識にのぼってくる機会が増えてくると、「マイペース」というものが、自分と自分をとりまく環境、そこに息づく生命体の相互作用によって生まれ、表現されているものなのではないかと感じてきます。
この環境の範囲と、その環境に対しての接し方によって、
マイペースなるものは創造されているのだと思います。
私の場合、余裕があるときとないときで、その差が分かりやすく、
余裕があるときは、環境の方に寧ろ意識が向いている割合が多いのを感じますが、
余裕がない時というのは、自分自身の思考回転の方に意識の比重が大きく傾いているのを感じます。
前者では様々な「くうかん」がほどよく拡がっているのに対し、後者ではこの「くうかん」がひしゃげてしまっているようなイメージが浮かびます。
私はかなりマイペースなところがあるのを自覚していますが、といっても、余裕があるときとないときで変わる様に、その時々によって、ペースは変化しているのだなぁと思うのです。それにつれて呼吸も動きも「マイペース」な表現となるのです。
動植物、土壌、天体、天候など自然なるものを観察していると自分のなかのモードが変わって、
何かに触れて、何かを受け取っているような時間と空間になります。
自分が何かをしている、という感覚から離れていられているように感じます。
そしてその結果、自分をとりまく環境にフィードバックされて、
くうかんも創造されていく。
このことがヒトの健康と健康維持増進という循環に深く関わっていると感じます。