(昨日のつづき)
先日、にんじんの収穫、荒選別の作業をしていたときに改めて気づいたことがあります。この作業はこれまで行ってきたミニトマトやピーマンの収穫作業とは違い、手ではなく収穫機に乗っての作業でした。
手による収穫作業の場合もある程度のペースで手際よく進めていく必要がありましたが、収穫機に乗っての作業では、収穫機によって堀取り、茎葉切断されたにんじんが、長さ1メートル30㎝くらいのコンベアを流れて、設置した袋の中に入っていくのですが、これが初心者にはけっこうな速さだったのです。
その速さの中で、にんじんについた泥を落とし、規格に合わないにんじんが袋に入らないように除け、切断しきれなかった葉も取り除いてくのは、かなり集中して手を動かし続なければならず、初めはその速度に慣れるので精一杯でした。
このときは、運転されていた方とは別に、もう一人の初心者の方と二人で作業していたのですが、お互いに「けっこう速いですね」なんて言いながらも、無心で作業を進めていくうちに、段々と自然と目がいき、自然と手が出る状態になっていきました。そうして、若干の間ができはじめたときにあることに気づいたのです。
それは、「からだ」がそれほどしんどくないということです。作業自体はかなり集中していないと、あっという間に目の前をにんじんが通り過ぎてしまうので、常に集中している必要がありますし、収穫機が走ると揺れが伝わってきて足場が不安定になることもあったのですが、それによって「からだ」のどこか一部が辛くなるということがなかったんです。さすがに作業終盤では疲れが出始めましたが、それまでは「休憩したい」と感じることもありませんでした。
その理由に気づいたとき、やっぱり「法則」は貫通していると実感したんです。その理由とは、作業の流れと立ち位置です。収穫されたにんじんが設置された袋に流れていく方向は、立ち位置に対して、左から右。つまり、つねに左に意識を置きながらの作業だったんです。
2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日(土)勤労感謝の日、、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。