(昨日のつづき)
お昼までに一人4箱くらいのペースで収穫しましょう、と手作業で進んでいく場合は、ある程度自分のペースで調整することもできるのですが、機械が入る流れ作業になると、ストップがかかるまでは、常に動き続けなければならないことも多いです。
昨日書いたにんじんの収穫、荒選別の作業も常に動き続けなければならない状況でしたが、自然と左に意識が向くような作業の流れになっていると、疲れにくくなると同時に作業しているときの感覚も随分と変わるものだと感じました。
流れてくるにんじんを荒選別するとき、規格の基準となるサンプルのにんじんも近くに置いてあるので、基本的にはそれで確認していくのですが、一度に沢山のにんじんが流れてくることもあるので、毎回確認している時間はなく、「これはどうしよう」なんて迷い始めてしまうと、それこそ、どんどん目の前をにんじんが通り過ぎてしまいます。
それでも、流れてくるにんじんが自分に対して左側で捉えられる範囲にあるときは、ほとんど迷いが生じず、すっと手が「動いてくる」のが分かりました。なんというか、見えている景色がとてもクリアで、「からだ」一つで作業できている感触がありました。それによって、ちょっとした余裕が生まれるんです。
もちろん全部は取り切れませんので、自分の左側にあったにんじんが正面を通り過ぎて、右側にいってしまうこともあるのですが、そうなると今までクリアに見えていた景色が変わってしまい、目と手がバラバラに動いている感じになったり、迷い出してしまったり、まったく余裕がなくなってしまうのを感じました。
自分の前を通り過ぎて行ってしまったことに対する焦るきもちを差し引いても、左側で認識するのか、右側で認識するのかの違いは、気のせいなんかではなくはっきりとした違いとして感じられます。
これは、今回の作業だけではなく、前回のブログにも書いた野菜(長芋)の洗浄、選別の作業でも感じたことです。作業場全体や作業工程なんかを、初めてにもかかわらず、滞りなく認識し、すっと「からだ」が動いていたのですが、立ち位置に対し、流れの方向は左から右、つまり、このときも左を意識しやすかったんです。
2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日(土)勤労感謝の日、、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。