私たちが普段何の気はなしに使っている言葉。
この言葉という不思議な営みにも重さと軽さがつきまといます。
「言葉に重みがある」と言ったときは、何か言葉の中に大切なものが込められているような印象を受ける場合もあれば、受け取る側の状況によっては、それをネガティブなものとして感じる場合もあります。
「軽い言葉」と聞けば薄っぺらい発言としての意味合いが一般的かもしれませんが、中にはニュアンスとしてさっぱりとしていて、嫌味がないと感じる人もいるかもしれません。
言葉を操ることは本当に奥底の深いもので、
操体法でも、その操法のなかで用いられる言葉というのはとても大切に選ばれています。
この「言葉」のことはブログのなかでも度々取り上げられている話題の一つではありますが、
操者がどんな言葉を用い、問いかけているかということが「からだ」に及ぼす影響は計り知れません。
わかりやすい例は、濁った言葉を使うのと、澄んだ清音を用いてからだの動きの誘導をするのとの違いです。この両者の使い分けで、被験者の感じる動きの質がガラッと変わってしまいます。
例えば、「左手を真上にグーっと挙げて」、と伝えるのと「左手を真上にスーッとあげて」と伝えるのとでは、からだへの力の入り具合や掌が表現する形、からだ全体で表現される動きの様子、そして動きの重さや軽さにも変化が感じられると思います。
試しに、からだの動きが重くなる言葉や軽くなる言葉に呼気や吸気などの呼吸を通してみるのも面白いのではないでしょうか。
言葉と呼吸とからだの動き、これらのことが実に無関係なものではないものとして感じられると、からだがききわけている言葉について、もっと観察して、勉強しないといけないと、敬虔な気持ちが生まれてきます。
2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日(土)勤労感謝の日、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。