息食動想のなかの「想(想念・精神活動)」。
精神活動や心(こころ)の重さと軽さ。
こころとからだは影響し合っているものなので、からだの重さと軽さ、そしてこの「想(想念)」の重さと軽さも、何か見えない関係がみえてくるように感じられてきます。
これはひとつの捉え方ですが、
「重心(じゅうしん)」という言葉の一側面として「重い心(おもいこころ)」として捉えてみたときに、
重心の不正という現象は「重い心の不正」となります。
また、「重心の適性にかなう」ということは「重い心の適性にかなう」となります。
これが、言葉遊びの範疇で脈絡のないことでもなく、ある面では重心と心の関係性を理解していく糸口になるのではと感じています。
重心の不正が変化し、重心の適性にかなうことで、「重い心」も変化する。
重さから軽さへの質的な変化、たしかな変化として感じられる。
そのことがからだから感じられる重さと軽さのこととも深く関係している。
自分自身のこころが重く感じられている時に、からだの重心がどのあたりにあるように感じられるか。
また、こころが軽くなっている時に、からだの重心がどのあたりに感じられているか。
そんなことも、試しにからだにききわけてみたら、何か発見があるかもしれません。
重心というキーワードを背景として、決して特別なことではない身近で様々なことが重なっている様子が感じられてくると、身近にあるのに、気がついていないだけのことが、そこら中に転がっているような気がしてきます。
『操体は面白いぞ、一生楽しめるからな』と
どこからか声が聞こえてくるようです。
2024年秋季東京操体フォーラムは11月23日(土)勤労感謝の日、ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。