おはようございます。
操体法も初期の頃は、骨格関節系の歪みを正す事に重点が置かれていた。
それは、操体の創始者、橋本敬三先生の初期の文献からも推測できる。
例えば、昭和の13年頃に描かれた以下の様な文章。
すこぶる通俗な譬であるが、骨格は金網に紙を張ったようなもので、一部に力を加えると全体に皺が寄るような影響を感ずるものである。
または家屋建物にもたとえることができよう。
土台や柱がまがったりズレたりすれば、建具の開閉に渋滞が生ずるようなものである。
ただ、その材料が鋼鉄の如く弾性であるから、不自然な力さえ除けばピンと元に戻る性質がある。
昭和のはじめ頃の人達の生活というのは、生活リズムも今より自然に近く、小さい頃から身体を使う仕事が多かった為、自然やからだとの関係性が密接で素直だったと思う。
だからして、骨格関節の歪みを正す事を重点に置き、痛い方から痛くない方へ身体を動かし、2,3秒間動きを撓め、瞬間急速脱力するというやり方でも、からだがバランス制御に向きやすく、大いに効果があったのだと思う。
しかし、人々の生活は昭和の時代だけでも年々変化し、便利になったのは良いのだが、その分からだとの関係性は自然から遠のいていった。
先に上げた例の様に、骨格関節系に働く不自然な力を除くだけで、筋肉をはじめとする軟組織も、全体的にそれに素直に応じるという訳にはいかなくなってきたと思う。
その時はいいが、また不快な状態に戻りやすいという状況も起こってきたと思う。
歪みというと悪者と捉えがちだが、その局所が歪む事で内臓も含めてバランスをとっている場合もある。
また、心的要因も関係しているので、一概に標準と違うから正してやれでは、却って良くない。
「痛いところが、部分的に、楽になった」では不十分であり、間に合わなくなってきた。
必然的に操体法も、骨格関節系だけでなく他の系統も、気持ちよく全体的な調和に向かうようシフトアップする必要が出てきたのだと思う。