東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

より全体的な調和を目指して・・・3

おはようございます。

 

健康を語る上で無視できないのが、感覚でありましょう。

からだの不調を感じた時、感覚をつうじて対応できるから、それ以上不調に陥らずに済む。

身近な例では、肌寒くなってきたから一枚余分に着こんでみるとか、誰もが普通に行っている事。

そうした、からだの感覚をつうじての対応や勘といったものが、文明の発展や知識の発達に反するように鈍くなっているのは確かだと思う。

 

操体の創始者である橋本敬三先生の生きた昭和の時代というのは、戦争後に目まぐるしく変わっていった時代でもあった。

生活は物質的に豊かになり、自分のことは自分でするという風潮は薄れ、代わりに思い通りにやってくれる機械を持て囃し、そうした人工物に囲まれた知識での理屈のとおる世界を欲するようになっていく。
それは今の時代も、あまり変わっていないであろう。

 

しかし、そうした世界観は、人間の知識では計り知れない自然やからだといったものを、知らず知らずのうちに遠ざけてしまった。
その結果、自然やからだとの関係性も薄れて、退化していく。

 

操体法も、初期の骨格関節の歪みを正す事を重点に置いて、痛い方から痛くない方へ身体を動かし、2,3秒間動きを撓め、瞬間急速脱力するというやり方では間に合わなくなり、からだとの関係性も再構築して調和に導くような必要性も生じてきたと思われる。

 

治しをつけるのは被験者のからだなのであり、被験者本人もからだがバランス制御に向くよう感覚をとおしてからだと向き合う。

その感覚も、不快な状態へバランスが乱れているのだから、更に不快な感覚を与えれば更に不調和を起こす。

気持ちが良いという快適感覚が必要なのであり、より調和に向けた質の高い快適感覚でバランス制御が可能という事。

「動かして診る」でも、骨格関節系の歪みを正す事に重点を置き、からだのバランス制御の働きに期待するといった行程よりも、被験者本人が「からだに気持ち良さをききわけ、気持ちよさを十分に味わう」という事で、バランス制御の間をからだと共につくりだし、からだのバランス制御と共に調和に向かうといった行程の方が、骨格や筋肉といった運動系だけでなく内臓系も含めて全体的な調和に向き、臨床効果も高くなる。

橋本敬三先生は、晩年に「気持ち良さをききわければいいんだ、気持ち良さで治るんだからな」という言葉を残して、数年後に旅立たれてしまった。
しかし、この言葉に込められた意志を引き継いだ三浦寛先生によって「気持ち良さをききわけ、味わう」という感覚分析による操法は体系化され、更に調和に向けてのシフトアップが重ねられていくようになる。