新年、明けましておめでとうございます。
とはいうものの、考えてみれば、
一つ歳を重ねる事さえも、
ありがたく楽しいだけではない。
ここで提案したいのは、
人生を「祝い事」として考えていくこと。
ヒトは、人生も感覚で選ぶことができる。
それは、今、この中で考えていること。
自分の脳で伝えていることが、生き方として使っていること。
自分の人生に、どう投げかけているかということ。
たとえ「冥途に向かう一里塚」と言われても、
ヒトの生き方にある「老化現象」を、
呪いと考えるか、それとも熟成と考えるか、
「祝い事」と考えるかでは全然違う。
新年に、この信念を迎えよう。
実際、人生100年時代となってきた
現代において、『いつお迎えが来てもいい』と考えても、そのお迎えは一体いつ来るのか。
好きなことを充分味わい、人に迷惑をかけなければいいのではなかろうか。
人生は面白いことをしたほうが、結果的に幸せな人生で終わることができる。
全て肯定してほしい、と言うわけではない。
ただ、気がついたところから丁寧に、丁寧に生きていこうとすれば良いのである。
与えられた命。
自分なりに、全うする命。
自分の大切なものとして、考え抜くことの気持ちこそ大切なのだと思う。
生まれてきたのではなく、生まれてくることに意志があったと感じる。
生かされることを感じることで、生きているのだ という驕りを取り除いていく。
「操体」は、学べば学ぶほどに感恩報謝できること。
この世に生まれた時から救われている。
この有り難み。
一日一日のありがたさを感じとることこそ、
「祝い事」の熟成に必要なことだろう。