操体の臨床とは生き写しの世界だと近頃感じています。
操者のからだと患者のからだ、空間を通じてこの2つのからだの間で様々なことを交換し共有されている。
当然それぞれ「施術者」と「患者」という立場がありますが、2つのからだは対等な関係性の中で様々なものを共にしている。
互いの呼吸と動きを通じて、接触の中で1つの流れに乗り、快を共有する。
時間の経過と共に「じぶん」は消え、それまで陰に隠れていた「からだ」という1人の人格者が顔を出す。
そして、その人格者はそれまで隠していた想いを「じぶん」に伝えていく。
その想いを受け取り、日常に戻る中で共に生きる「からだ」の存在を認めていく。
これが操体法の臨床の姿なのかと思っています。
2025年春季東京操体フォーラムは4月29日(火)
ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。