操作するほど遠ざかる。
執着を手放すと、からだの声が聴こえてくる。
「何かに執着する」ということは、それに縛られることでもあります。
それは「操ろうとする意識」と表裏一体です。
操ることをやめたとき、初めて私たちは「間に合う」ことに近づくのかもしれません。
自然であるということ。
それは、つながりが多く、フィードバックの質が高い状態だと思われます。
古来「自然(じねん)」という言葉は、「おのずからそうであること」という意味で使われていました。
これはつまり、「質の高いフィードバックの循環」がある状態ではないでしょうか。
からだが「正直」になればなるほど、フィードバックは明確になります。
ただし、自分に「違和感がない」=「間に合っている」というわけではありません。
気づかないうちに内・外部の環境が乱れていても、それを違和感と感じないこともあります。
そうなると、60%の健康状態を「正しいとして満足し、本来の100%には至らないこともあるでしょう。
蟻鱒鳶ル
まとめ:からだの違和感に鈍感なままでは、本当の“間に合う”感覚にはたどり着けないのだと想うのです。
(続く)