ことばは光のようなもの
ことばは風のようなもの
ことばは雨のようなもの
昨日の続きです。
今はニホンヤモリを育てていないので、虫ハンティングをすることはなくなったのですが、最近また同じように散策する機会を得ることができました。
近くの小学校の授業の一環で蚕(カイコ)を育てるカリキュラムがあり、蚕が食べる桑の葉が家にあったり、近くにみつけた方はご協力いただきたい、という声をききました。ご存知の方も多いと思いますが、蚕は幼虫のうちは四六時中モリモリ桑の葉を食べるので、学校に植わっている桑の樹からお裾分けしてもらえる葉の量では追い付かないのです。
そういう経緯もあり、普段移動する時には桑の葉採集の視点で街を歩くようになりました。注意してみていると桑の特徴的な葉っぱが目に付くようになります。街路樹の植え込みの中からピョンと伸びていたり、川沿いの植生のなかで旺盛に伸びていたりして、恐らく敢えて植えた桑ではなく、桑の実をついばんだ鳥がフンを落とし、種を運んで発芽した「野良桑」的なものが結構あるものだなということが感じられてきます。
また、桑の葉を採集して蚕の幼虫に与えると、おいしそうにモリモリ食べるのがなんとも愛おしく感じられてきます。
不思議なんですが、こういうときを過ごしていると、なんとなく日常の流れから程よく脱線できているような気持ちになります。
お金を使って欲しいものを買ったり、誰かが用意してくれたものを選んで受け取るような営みとはちょっと違う。自分自身で情報を感じとり、その感じたことを色々な方法で具現化してみる。些細な動きでも何かがうごく。
これも時間にしてはほんの数分の意識の変化でしかないのですが、自分自身にとってはちょっと立ち止まる機会となるひとつのように感じています。