ことばは光のようなもの
ことばは風のようなもの
ことばは雨のようなもの
忙しい日々を送っていると、やるべきことに追いかけられてそのことに向き合うことで精いっぱいとなることもある。
「今日も一日疲れたなあ」とからだを休めようと床につく。
目を閉じてからだを休める。
そのまま、眠りにつくこともあれば、疲れているはずなのに何か眠りたくないような、きもちになることもある。
そういうときは一旦起きて、ちょっと仕切りなおしてみることにしている。
テーブルの上を片付けてみたり、床を掃いてみたり、カバンのなかを入れ替えてみたり。
そういうことをしているうちに、何かことばを感じるようなこともある。
時間にしたらそれほど長くない仕切り直しのときを過ごしながら、感じられたことばを忘れないようにメモしたりする。
その日一日を目まぐるしく過ごした中で、すっかり忘れていた感謝を感じることもある。そういうことがあると、急にそれまでの疲れが変容し、とてもせまっ苦しいところで何かをしようと一生懸命だったようなきもちがしてくる。
光がさして、風が抜けていくような、そんなくうかんの変化を感じるように。
どんなに忙しくても、時間が無くても。
そして、忙しいからこそ、ちょっと立ち止まりたい。
あの「メッセージ」が問いかけてくる
『己自身の光で変わりゆく自然をみる』
「操体法 ~生かされし救いの生命観~」(「メッセージ」より)
からだの要求と自分自身の要求が重なっているときのなかで、
感じられた「ことば」を抱く。
そのことばは己自身の光なのではないかと感じています。
一週間のお付き合いありがとうございました。
バトンを渡して明日からは友松実行委員のブログがスタートします。
どうぞ、おたのしみに!