ことばは光のようなもの
ことばは風のようなもの
ことばは雨のようなもの
何かをやろうとしても、なにかスッと前にすすめない
そういうことが日々の生活のなかにあるのですが、
前だったらがむしゃらに、
何でもいいから手に取ってみたり、とりあえずやってみたりというように、
あぁでもない、こうでもないと色々試しながら
向き合っていたように思います。
うまく行くときもあれば、なんとなくうまく行ってないようなときもある。
やってはいるんだけれども、充足していないようなきもちを感じることもある。
そういう不思議な実感を持って、ことにあたっているときもあります。
ここのところは、そういうきもちを感じたときに、
いま「重心」はどこにあるだろうか、と感じるようにしています。
「重心」はどこにあるだろうか
問いかけてみると、「あ、なんとなくだけど、この辺にありそうだな」というのが感じられてきます。
いま、このあたりに重心があるのか、というのが朧気にでも感じられてくると
意外とそれだけでも腑に落ちるものがあるものです。
重心の不正を感じ、納得する。
そこから次の道筋が感じられてくる。
素直に立ち止まってもいられる。
その立ち止まりの繰り返しのなかで、
少しずつですが着実な何かを学んでいると感じています。