わたしが操体法における「自然体律位」の学習を繰り返していく中で大きく変わってきたことがあります。
それは意識の使い方です。
もちろん、使わせて頂いているからだと動き、呼吸との向き合い方も変化しましたが、これら以上に変わってきたのが自分の思考が薄まってきたように感じています。
じぶんの思考が薄まっていくことで見えてくる世界は大きく変わったように思います。
それを踏まえて客観的にじぶんの意識の変化を辿っていくと
操体を学ぶ前→思考意識
操体を学び数年の間→意識感覚
現在→感覚意識
と変化してきたように感じます。
自分の思考でからだを使うのか?
または自分の意識でからだを操るのか?
それとも感覚でからだを操るのか?
これだけでもからだとわたしたちが営んでいるものは大きく変化してくるのです。