30 March

ブログ一時移転のお知らせ

こんにちは。

一時期このサイト http://blog.tokyo-sotai.com/ を移転致します。お手数をおかけ致しますが宜敷お願い申し上げます。

http://d.hatena.ne.jp/tokyo_sotai/

になります。携帯はも同じURLです。




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21 March

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)


WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)も僕のブログもいよいよ大詰めです。
昨日我等が日本代表は宿命のライバル韓国を6−2で快勝、1組1位での準決勝進出となった
・・・が、僕は全く違う所で野球ブームに火がついております。

漫画『MAJOR(メジャー)』である。


満田拓也原作の野球漫画でNHKでアニメ化もされている。

ひとりの野球少年が様々な苦難を乗り越えながら、
野球人として成長する姿を描いたスポ根漫画である。

この主人公の吾郎くんときたら本当に良く故障する。
そのどんな困難にも負けずに立ち向かう不撓不屈の
精神力には本当に多くの感動を頂いているが、
その全くからだの声に耳を傾けない傍若無人な
からだの使い方は治療家としては目を覆いたくなる。
「おい、コラっ!吾郎。もっとからだにききわけろ!!」
とひとり漫画に向かって言葉掛けをしてしまう程です。
そんな中僕が特に大好きなエピソードがあります。

主人公吾郎くんの父親はプロ野球選手でピッチャーでした。
特に目立った活躍がある訳でもなく1軍と2軍を行ったり来たり、
でもそんな父親を吾郎くんは心から尊敬し、父親も吾郎くんのことを
心から愛していました。
ところがある日、父親は肘の故障で引退を余儀なくされたのです。
大好きなお父さんの野球が取り上げられてしまうと吾郎くんは落ち込みました。
そんな吾郎くんの姿をみて父親はピッチャーを捨て、バッターとして
プロ野球に残ることを決心しました。そしてその為に死にものぐるいで
練習に打ち込みました。『自分が吾郎くんに残せるものは野球しかない。』
そして見事にバッターとして新たな野球人生を歩みだしたのでした。
めでたしめでたし・・・とは行かないのですが後はお暇なときにでも
読んでみてください。

この父親の生き方って本当にカッコいいと思います。
吾郎くんに心配かけまいと多くのことを語らないまま
ひたむきに野球に打ち込むその後ろ姿で、吾郎くんに
生きるために大切なものはなんなのかを伝えているのです。
親父の背中ってヤツは生き様の百科事典のようです。

東京操体フォーラムにも三浦理事長、今顧問を始めとした
大勢のカッコいい背中をもっている親父達が集まっています。
僕も子を持つ親父の中のひとりとして、自分の背中を見られても
恥ずかしくないように清く正しく美しい背中作りに励んでいきたいと
思います。

それでは明日からは東京の鵜原さんの出番です。
福岡はずいぶん桜が開いてきましたが、東京の桜はどうですか?
三茶のターミナルビルから見える桜も最高ですよね〜。

秋穂一雄








20:43:49 | tokyo-sotai | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

20 March

龍くん受難の日


3月20日

今日は先日ブログで紹介した僕の爺ちゃんの命日だ。

14年前、1995年のこの日、
瀬戸内海のフェリーの船上で爺ちゃんが亡くなったとの連絡を受けた。

当時僕は柔整学校の2年生で春休みを利用してローリングストーンズの日本公演を
追っかけるために東京から福岡へと移動している途中だった。
丁度この日は地下鉄サリン事件が起こった日でもある。

4年前の2004年の3月20日には福岡の街を福岡西方沖地震が襲った。
目の前で食器棚か倒れるのを見た時にはさすがに身の危険を感じた。

今年2009年の3月20日は、僕の長男龍之介くん(8ヶ月)に思わぬ災難が襲いかかった。

事件は寝室のベットの上で起こった。お姉ちゃんの朱花(4歳)にくすぐりの操法
を行われている時に暴れ回り過ぎで右肘を捻ってしまい『肘内症』になってしまうわ、
父親一雄さん(34歳)とふたりで寝ている時に寝返りしすぎてベッドから落ちてしまうわ。
それだけならまだしも父親のブログのネタにまでされてしまってとにかくもう踏んだり蹴ったりだ。

龍之介は言う「日本代表が勝ったから良しとしよう。」


秋穂一雄














16:46:27 | tokyo-sotai | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

17 March

2つの額縁 〜パート2〜

さて3日目の今日も昨日に引き続いて整骨院の額縁のお話です。

うちの整骨院にある2つ目の額

これは三浦理事長の治療院に飾ってある物をコピーして
頂いたもので『歩み入る者に やすらぎを 去り行く人に しあはせを』と書かれてあります。
この言葉はドイツのローテンブルグにあるシュピタール門という古城の門に刻まれた言葉で
原文はラテン語で『Pax intrantibus, Salus exeuntibus』(来る者には平和を、去る者には無事を)と
書かれているということです。
シュピタール門の原文
シュピタール門に刻まれた原文
(旅行ガイドのサイトより頂戴しました。)
その言葉を日本を代表する画家東山魁夷が『馬車よゆっくり走れ〜ドイツ・オーストリア紀行』
と云う紀行文集の中で紹介しており、その言葉を魁夷と親交のあったノーベル賞作家の川端康成が
書に残したものだという大層有り難い一品なのであります。

ちなみにこの言葉は2007年にNHKの連続テレビ小説『どんと晴れ』の中でも取り上げられ、
老舗旅館のおもてなしの心を的確に表現してありました。

三浦理事長からこれを頂いた時から、この言葉は僕の一番好きな言葉となり、
僕の整骨院作りの基本理念として初心忘るべからずと、
整骨院の一番目立つところに飾って置くことにしました。

この言葉が刻まれた中世のドイツは小国の領主達が領権争いが繰り広げられていたころです。
自国の領地から一歩足を踏み出せば常に危険と隣り合わせの命がけの旅となったに違いありません。
目的地にたどり着いた時の安堵感といいうものは常夏のハワイからマカダミアナッツを山のように抱えて
自宅に帰った時の比ではないでしょう。(根本的に比べることがまちがっていますが・・・) 
城壁に守られ食糧があり、人のぬくもりがある。それだけでも命を守れられている安心感と、
生かされているという感謝の気持ちを感じることが出来たのではないでしょうか。

現代では町の外に出ても猛獣が牙をむいている訳ではないし、盗賊が待ち構えている訳ではない。
『一歩外に出たら百人の敵がいると思え!』という位ですから常に社会という見えない敵に
脅かされているのかもしれません。

そんな現代社会によって疲れたココロとカラダがここで少しでも安らぎ癒される場所でありたい。
ここから出る時にはほんのちょっとでも希望の種を持って帰ってほしい。
何も特別な御馳走が出るわけではないし、とびっきり贅沢なサービスが提供されるわけでもない、
それでも誰かにとって安心していただける場所になれば良いな。日々、この言葉を眺めながら考えています。

そう言えば、毎回フォーラムが終わり僕が福岡に帰る時に三浦理事長がかけてくれる
「さようなら」ではない「いってらっしゃい」という言葉も僕に勇気と希望を与えてくれる魔法の言葉です。
「いつでもここで待ってるよ〜」という魂の居場所を作ってくれているようで何となく安心するんです。
さて4月26日は今回も東京に里帰りだ!!

秋穂一雄


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16 March

2つの額縁 〜パート1〜

僕の整骨院には2つの額縁が飾ってある。



1つ目は開業する時に伯父さんから頂いた額縁で
これはうちの爺ちゃんの書いた書が飾ってあるものだ。

身内の贔屓目で見てもお世辞にもきれいな字とは言えないが
これは遺伝子レベルで僕にも確実に受け継がれている。

うちの爺ちゃんは農家の長男坊として生まれながら
学生の頃から柔道の道に傾倒し、戦前に京都あった
武道の専門学校で柔道を学んだ後、志願兵として
満州国へ出征、戦後は故郷の福岡県に戻り
柔道の師範や高等学校の保健体育の教師をしながら
柔道整復師としてほねつぎを開業していた。

残念ながら僕は爺ちゃんが仕事をしている姿の記憶は無く
その臨床風景は家族の思い出話からその様子を伺い知るしか
無いのだが、どうやら患者さんが暴れ回るくらいの
強刺激の手技を行っていたらしい。
うちの父親曰く「あんな手技をやってたらからだが持たない。」
そうだから余程強烈だったのであろう。

爺ちゃんは武道家だから

日本伝統の武道によって 
体力、気力(心)を増進し
世の進運に寄与しよう

と書かれているが、

僕は武道家としてはへっぽこなので

橋本先生の操体によって
体力、気力(心)を増進し
世の進運に寄与したいと思っている。

そういえば橋本先生も戦中は満州に出征されていたのだから
同時期に爺ちゃんも満州にいたんだな〜と思うと大層感慨深い。

秋穂一雄



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