18 August

大地に立つ

今週担当の辻です。
二周目行きます。


さて、高校を卒業して上京して来ましたが、直接この世界に入った訳ではありませんでした。

高校はHRの前にも授業があり、夏休みなんかも返上で通うとこでした。大学に行かないことに決めた辻は異端というか問題児であり、「人生真面目に考えんか」と言われたもんです。(懐かしい…)

そして、音楽学校に通う訳ですが、そこでもう一人の"師匠"に出会うことになります。

初めての授業でおそわったのは歩くこと。


音楽と歩く (インタビュー)


音楽において、歩くということがいかに大事なことか。
音楽の基本は歩くこと。きちんと歩けないということはからだに歪みが存在する。
からだの歪みはリズムの歪みであり、音の歪みにつながる。
歩けるようになるにはどうしたらいいか。
からだのバランスを整える必要がある。


その日から、歩くことを意識する日々が始まった。
しかし、意識すればするほど歩くことの難しさを実感させられる。
ひとのからだとはままならないものなのだなと。
リズムと音に関してはそれなりに評価をして貰っていたようなので、そこそこ歩けていたのだろうが、自分自身では全然しっくりこないのだ。

からだをつかうということに興味を持ったのは、この時からだったのかも知れない。

いや、10年経った今でもさっぱりわからないのだが。


からだをつかうということを極限まで追求しているのではなかろうかと思えるものが操体であり、あるいは武術であったりするのかなと。

そういえば、操体と武術が似ている?と言われることがあるらしいがどうなのだろう。
個人的な印象は半々かな。
似ているような似ていないような。

現在のイメージでは、
操体は円の動き(曲線?の動き)
武術は円に見える直線の動き
かな?と思ったりする。
共通するのは、それが柔らかいものであるということ。

未熟なのでわかってないだけかもしれないが…
あるいは、本来近いものなのか。


まあ、あと40年後くらいに少しはわかればいいかなと思っている。



そうそう、立つということでした。
なかなか本題に入りそうにないので気を取り直してまた明日、ということで。

一週間よろしくお願いします。



辻 知喜

08:18:11 | tokyo-sotai | |

16 August

お盆の終わりに。

幼稚園に入った頃。
自分の名前を書く時間があった。

僕は、のんびりお婆ちゃんと一緒に過ごした子供時代だったから。
なんと、この世の中に文字があると言う事を知らなかったのです。

それで、未開人からの脱却を図った僕(幼稚園入園3日目位)
は家に帰るとお婆ちゃんにその事を話した。

その日、幼稚園で自分の名前が書けなかった子供は5人位いたのかな。

その日のうちに僕は名前をカタカナ、ひらがな、漢字で書けるようになった。

次の日幼稚園で名前を書く。
今度は漢字で書いた。

前の日、名前を書けなかった子供は5人位。
翌日、漢字で名前を書ける子も5人位。

僕はいっきにごぼう抜きでランクを上げた、子供の早期教育って
多分この程度かもなんて事も思うな。

早く始めて苦労させても。
抜かれる時期にはきちんと抜かれる。

それは苦労してるから。
そこに苦しい教え方や変な義務感があったらその程度。

僕はお婆ちゃんが大好きだったから。
お婆ちゃんと楽しく自分の名前を覚えた。

それは決して辛い勉強の時間じゃなかったな。

お婆ちゃんがニコニコしながら
僕に字というものが世の中にある事を教えてくれて。

一緒に書いてたニコニコ時間。

だから僕はもっと楽しい時間を過ごしたくて。

ひらがなから始まってカタカナと漢字も
その日に覚えたんだろうな。

賢く学ぶって事は、楽しく学ぶって事でもあるのかな。

そこにはきっと楽もあるぞって僕は思う。
楽しく楽に僕は生まれて始めて字をマスターした。

楽に楽しく学ぶそうすれば同じ事を面白く、早く沢山学んじゃうんだろうな。

お婆ちゃんと一緒の時間は安心して、凄く楽で楽しい時間だったから。

今週は調度お盆でした、お婆ちゃん、そしてお母さん、郁ちゃん、そしてご先祖の皆様方。

お陰さまで、僕は楽しく、面白く、毎日過ごしてます。

お陰さまで、感謝の気持ちと一緒に少しだけだけど、
ご先祖様の事を考える時間が出来たりしてます。

ありがとうを感謝の気持ちをようやく感じる事が
出来るようになって来ました。

自分の楽しい事をもっと広げるのに忙しいからお墓参りには行けなかったけど。

いつの間にか僕は感謝の気持ちを、師匠や仲間の皆さん達から教えていただいてます。

仏壇はないけど、お萩とビールとクッキーをお供えして手を合わせておきました。

これでも大分、大人になったんですよ、昔から比べると。

少しずつが良いんですよね、急に変わるのはすぐに終わってつまらない。

じっくりと味わいながら楽しく行こうって思います。
そんな事を、操体っていうのを学びながら一緒に学んでいます。

今週ブログを担当させて頂いたから、きっとこんな風な想いが出てきたんです。

このご縁に感謝です。

楽しく、僕は操体を学ばせて頂いてます。

来週は期待の若手 辻君です。


平 直行


09:29:40 | tokyo-sotai | |

15 August

スイッチ

スイッチを入れると電源が入って機械は動く。
テレビのスイッチを入れてチャンネルを合わせると画面の中に画像が現れる。

それまではただの箱。

スイッチを入れなければただの箱。
テレビの電波はいつでも流れてる。

テレビのスイッチを押した瞬間に出来る訳じゃない。

テレビのスイッチが入ってない時にも
いつでもテレビの電波は流れてる。

だからテレビを見るって事はテレビのスイッチを入れるって事。

スイッチに関係なく電波はいつでもどこでもある。

身体にもスイッチがある。

気持ちが良いスイッチを押せば
そのスイッチの電波みたいなのが入ってくるのかな。

みんな同じ器で身体の造りも同じなのに
入ってくる電波が違うのはスイッチが違うのかな。

気持ちが良いスイッチが良いな。

気持ちが良くないスイッチは身体に良くないんだろうな。

そのスイッチは息、食、動、想で管理できる。

全部自分自身でコントロール出来る。
面白いな。

最近変な事件が多い。
武術の師匠がこんな事を教えてくださった。

「相手がナイフを持ってる犯罪者。」
「護身術が出来る、技が出来ても危ないですよ。」

「相手は犯罪者だからスイッチいつでも入ってるんですよ。」
「技の事考えるだけでスイッチが入ってないと。」

「相手を目の前にして考えてるとそれで下がったら。」
「刺されてしまいますよ。」

「技だけだとかえって危ない事もある。」

「ゴングで始まる試合と違ったものがあるんですよ。」
「試合が全部だと考えると危ない目に合う。」

「本当の危ない目は試合の比じゃないんですよ。」

「だからスイッチをいつでもすぐに入れる練習をしないと。」
「武術ってそんなもんなんですよ。」

全部が、きっと同じ。

身体にはスイッチがある、健康になるスイッチが入ってると。
同じ場所にいて風邪をひく人ひかない人。
身体が強い弱いもあるけど、身体が弱くてもひかない人もきっといる。

身体にはきっとスイッチがある。

そのスイッチを押すボタンの一つに
気持ち良く過ごすっていうのがきっとある。

操体を学んで僕はそんな事を思う。
身体のスイッチを押してあげるお手伝いをするのが操体なのかな。
僕はそんな事を思ったりもする。


平 直行
01:13:37 | tokyo-sotai | |

14 August

所変われば(夏休みの疑問。)

子供の頃夏休みにはカブトムシとかクワガタとか飼っていた。
小学生男子の憧れは昆虫なのかな。
あの黒く光る硬い感じが良いな。

彼らを手に入れる為には、家から相当遠くまで行く。
自転車で3時間位かけていくと
カブトムシやクワガタが取れる場所があった。

子供の頃の大冒険だ。

そうやって大冒険の末に手にしたカブトムシとクワガタは同じ場所で飼われたりしてた。

ある朝見てみるとカブトムシがクワガタにやられてた。

友達の家でも同じような事件があった。

昆虫の王様であるカブトムシがクワガタに負ける。

子供にとっては大事件。

子供達はクワガタの方が凄いんだ。
そう思ってなんでカブトムシが王様なのか考え抜く。

「やっぱり名前がカブトだから兜と同じだから。」
「王様なんだよ。」
「形が良いよね、だから王様なんだよ。」

全く意味不明の解釈は40歳を過ぎてもそのまま。
ある日の事テレビを見てたら疑問解消。

カブトムシは森の王様。

だから広い樹の上ではカブトムシのツノが森の昆虫の中で最強の武器になる。

さっと近ずいてツノでパッと押せばどんな昆虫も樹の枝からまっさかさま。

優しい力の示し方で森の最強を維持するカブトムシはやっぱり森の王様だったんだな。

ところが、これが虫かごの中だと話が変わってくる。

別に押しても遠くまで行かないから。

やがて、クワガタの鋏が強力な威力を出してくる。

森だったら一撃で吹っ飛んでるのに。
狭い場所では鋏は最強の武器になる。

何でもそうなのかな、生き物って自分の生きる場所に
一番良い状態で出来て生まれて来るのかな。

それが生まれてくるって言う意味なのかな。

生かされし命。
それは生まれた場所でありがたく生きる事でもあるのかな。

便利な物をありがたく受け入れつつも。
あまり限度を超えない方が良いんだろうな。

ありがたいっていう気持ちがその時のコツなのかな。

何でもありがたく出来てる、空気、水、太陽。

勝手に変えないでも十分ありがたい大切な物。

そこを大切にありがたく使うのか、自分勝手に散らかすのか。

身体だって同じように向き合うと間違いないんだろうな。

多分その他の事も同じなんだろうな。


平 直行

09:02:43 | tokyo-sotai | |

13 August

夏休みその2(自分が小2だった頃のお話。)

下の子供は小2。
自分の小2くらいの記憶って飛び飛びだけど結構鮮明にある。
それで、こんな事を思い出した。

小学校の夏休みは毎日小学校のプールに行ってたな。
小2の頃に僕は泳げなかった。

小2の夏休みは
プールでばちゃばちゃして遊んでた。
そろそろ泳げる子とか出てくる時期。

僕はのんびりとばちゃばちゃして遊んでた。
もう夏休みも終わりになる頃に、ふと浮かんだ。

何となく、頭に浮かんできた。

小学校のプールの浅い部分だったら小2でも楽に頭が出る。

だから別に怖くもなく、楽しくばちゃばちゃ遊べる。
あっだったら息が出来る間に立てば、怖くないな。

小2の僕の頭に、ふと浮かんだアイディア。

とにかく浮かんでみよう。
だめでも息が続く間に立てば大丈夫。

それで、身体をプールで丸めてみる。
そのまま浮かんでくる。
おっ良いなって感じる小2。

簡単に浮かんだのでビックリ。
それまで恐々と泳ごうとしても。
ぜんぜんダメだったからビックリ。

一度浮かべば身体が覚えてくれる。
怖さもないから、何度でも出来る。

1回浮いたら楽しくなるから。

今度は丸まった状態で浮いて、そのまま身体を伸ばしてみる。
ばっちり成功、そのまま手と足をばちゃばちゃしたら前に進んだ。

どんどん面白くなって、気がついてから約5分で僕は息が続く間、泳げるようになった。

まったくの泳げない小2は一応泳げるようになって。

残りの夏休みで少し息継ぎが出来るようになって僕は泳げるようになった。

何でもホンの少しのきっかけで全部変わる。

大概の事はホンの少しだけで全部変わる。
大概の事を邪魔するのは恐れなのかな。

僕は小2の次男がいる年齢になって、僕はそんな事を思う。

余計な力を入れるから溺れてしまう。

何もしないで良い、力を抜けば勝手に身体は浮くようになってるから。

まずは、それを理解して身体に覚えこませる。

そうすればそこから自分で楽しみながら進む事を覚えていけば良い。

何でも同じなのかな。
怖さって、凄く何かを押さえつけるのかな。

楽しくやって構わないって気がつくと面白いように変わるのかな。

何か面白い事に気がついたような感じ。


平 直行



08:12:58 | tokyo-sotai | |