東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

メイキング

映画は相変わらず好きですが、最近はなかなか映画館に行けなくてDVDで観る事が多いです。
映画館に行くのはいいんですが、なかなか時間が合わなかったり、最近でこそ席を予約出来るようになりましたが、以前は良い席を取るのにガンバラなきゃいけなかったり、ようやく良い席が取れたと一安心していると、真ん前の席に眼を疑うような座高の高い奴が座って半分スクリーンが見えなかったり、いざ映画が始まってしばらくすると、なんだかクサイし眼がチカチカするので、なんだろうと見回すと、俺の席の背もたれに時間潰しに入ってきた営業マンが靴を脱いで足を乗っけていたりする。
映画一つ観るのが一苦労だったりします。
その点今では何ヶ月かするとDVDが出て自分の都合で観ることが出来る。便利な世の中になったものです。

DVDならではの楽しみにメイキング映像がありますね。僕はこのメイキングを観て、作品が産み出される現場の雰囲気を感じるのがとても好きです。
11/23の東京操体フォーラムでも田中稲翠先生のそんな現場に立ち会わせていただきました。一ヶ月近く経った今でも、未だに余韻が残っています。


岡村さんと一緒に、幸運にもアシスタントをさせていただくことになり、横に付かせていただいたのですが、先生が紙に向かい筆を構えられる瞬間、「衝撃波」というような言葉を使ってもいいような感触で、何かが胸に飛び込んできました。と同時に涙が流れました。そのままにしておくと本当に水道のように涙が流れそうな感じで、さすがに先生の横で「オッサンが号泣して涙&鼻水垂れ流しの図」はマズいと思い(笑)、必死にガマンしながら勤めさせていただきました。

あれは何だったのか、思い返す度に考えています。
こうやって生きるんだ、生きる生きているというのはこういう事なんだという事を、稲翠先生に見せていただいた。そんな気がしています。
それは今自分への問いかけとして戻ってきています。
自分は生命を賭けて生きているのか、生命を賭けられるのか、今この瞬間の生にそういう気持ちで向き合っているのか。踏み込んだつもりでも元の足に重心が残っているんじゃないか。

最近よく見ていた夢があるんです。切り立った岩山の中腹に沿って細い道がついている。岩にへばりついて進んで行かないと、ちょっとでも手を滑らしたりしたら落っこちてしまうからとてもオッカナイ。でもその道しか無いし、自分がその道を進んで行くんだろうな、とも思っている。きっと一歩でも踏み出したら怖くなくなるんだろうなとも思っているのに、進めない。自分の優柔不断ぶりが分かるようで恥ずかしいのですが、要するにただ落っこちないように、死なないように生きてきてしまったんですね。

あの稲翠先生の姿を見てから、その夢を見なくなりました。
背中を押していただいたんだと勝手に思っています。

昨日もお話しした僕の好きな映画「マグノリア」のメイキング映像に、クランクインの場面があるのですが、監督のP.T.アンダーソンはスタッフを前に「正々堂々といくぞ!」と言ってから撮影を開始しています。これを観た時、本編を観た時と同じように感動しました。現場にいる人達の生命が輝く時、また作品も輝きを持つ事になるんですね。


山本明