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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

北島家

『は〜るばる来たぜ函館ぇ〜〜』って某北島さんの”函館の女”の歌詞です・・・
今年もNHK紅白出場者が決まったので、その話しかと思われた方
はチョイと早とちり。。今回の北島は同じ北島でも出雲の地元
では名家である出雲国造 北島家(いずもこくそう きたじまけ) 』のことです。

地元の人間には何となく分かるのですが、他府県の方々には分か
り難いと思いますので若干補足を入れつつ話しを進めたいと思います。。

昨年来、出雲大社平成の大遷宮によって空前の盛り上がりをみせて
いた出雲大社も、遷宮の大方のイベントも終了し、又、元の静かな
状況になるかと思っていました。
ところがどっこい!今年最大のサプライズ!フォーラムでも話をし
たのですが、出雲大社権宮司千家国麿氏と高円宮典子さんとの
ご結婚でしょうか。

地元もこれで、もう数年は観光客が来るだろうとホッと一息ついて
いるところです。この調子でいけば子供さん誕生の折に盛り上がり、
七五三やら何やら当分『千家家』はスポットライトを浴び続け、お家
は安泰で笑いが止まらないだろうと思います。

この国麿氏の『千家家』とタイトルになっている『北島家』は実を
言いますと両家とも出雲国造家(いずもこくそうけ)』です。
両家共に天穂日命を始祖とする名家で、室町時代の国造清孝の時に
千家家、北島家の二家に分立して宮司を交代で祭祀を司り明治に至
りました。

この両家に大きな転機が訪れたのが、明治期に起こった祭神論争』でした。
この明治神道史の有名な事件で日本全国の神道界から注目を浴びた
のが、第80代出雲国造千家尊福(せんげたかとみ)でした。

祭神論争は書き出すと面倒臭いので(笑)、興味がある方は調べて
戴きたいのですが、簡単に言えば明治8年に政府が主導する大教院が
廃止され、神道事務局が結成されました。
いわゆる造化三神天照大神の四柱を祀る『伊勢派』派閥と、
造化三神+天照に更に出雲信仰の要である大国主命の五柱を主張
したのが、『出雲派』を擁する千家尊福だったのです。
当時は日本の神道界を二分する大論争となり、大勢は平田篤胤の幽冥論
ベースの千家尊福『出雲派』になりつつあったのですが、伊勢派にも
出雲派支持者が出て来たのに焦った伊勢派の政治力に巻き返され、
勅裁という形で伊勢派が実権を握り、出雲派は実質上敗北しました。

これ以降も神社神道に対しての様々な介入に限界を感じた尊福は出
雲大社の宮司職を弟に譲って、自身は神道大社教(おおやしろきょう)』
を開き初代官長に就任しました。

この尊福氏は後に伊藤博文に推挙され、元老院議官、貴族議員など
を経て、埼玉、静岡県知事を歴任し、最後には東京府知事にも就任しました。
その後、第一次西園寺内閣の司法大臣に、更にその後は東京鉄道会社
社長にと、神道の世界とは対極にあるような”政財官”の世界でも、
その力を発揮しました。

結果、明治以降は出雲大社の実務は『千家家』のみで執り行われ、
出雲大社教(いずもおおやしろきょう)』の職員が出雲大社
実務を執り行っています。

一方の『北島家』は国造家の名称は残っているものの、出雲大社
本殿での執務は無く、出雲教の布教や各ご祈祷と、結婚式な
どを北島国造館にて行っています。

私自身も結婚する際に、結婚式場で改まって式を挙げるのを嫌がっ
ていたときに、母から『大社さんであげれば良いじゃないの?』
と言われたのを覚えています。この場合の大社さんは当時だと
『北島さん』でした。

ん〜今回の千家さんの婚儀の関係で今後は益々、千家さん側での
婚礼が増えるだろうなぁ〜などと要らざる心配をする私でした・・
ご先祖様を一つとする中で、陰陽とまでは言いませんが、微妙な
温度差があるのが何とも言えませんねぇ〜

余談ですが、尊福氏は我々『新春スター隠し芸大会』世代にはお
馴染み、テーマソングだった『一月一日』の作詞者でもあります。
♪年の始めの ためしとて〜終わりなき世の♪ってあの歌です。。