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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

お国

さ、出雲シリーズ(笑)三日目の今日も記紀神話』の中から登場です。
何度かフォーラムブログにも登場していますが、記紀の中では乱暴者
で通っている素戔嗚尊スサノオノミコトが田んぼの畔を壊して
溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたり様々な乱暴を働きました。

様々なクレームが天照の元に届くのですが、最初はクレームをなだめ
ていた天照も、自身が機屋(はたや)で織物をしている現場に皮を剥
いだ午を投げ込まれ、驚いた織子の一人の陰部にシャトルが刺さって
亡くなった事件が発生しました。。

素戔嗚尊ファンの私としては多分に伊勢派の偏った解釈に納得はいきま
せんが、記紀にはそれが切っ掛けで、天照が岩戸に籠もってしまい、
世の中が大変なことになってしまったとあります。

この時に天照を岩戸から出すために、天宇受賣命(アマノウズメ
岩戸の前で桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳
の紐を陰部までおし下げて踊ったそうです。
今なら、壇蜜にやってもらうと良いかもしれません・・

この大胆且つユーモラスな踊りに回りにいた八百万(やおよろず)の
神々が一斉に笑い出したので、自分が世界の中心だと思っている天照は、
私がグレて籠もっているのに何が楽しいんだ!とクレームの一つでも
言ってみようかと、ついつい岩戸を開けて天照が外を覗いたと言いますのが、
俗に言われる『天岩戸開き』ってやつですね。

ま、私の解釈も多分に素戔嗚尊寄りなのでご勘弁を・・・
このアマノウズメ壇蜜の楽しそうな舞が踊りの元祖などと言われております。

そして、本題にある出雲大社近くにお墓のある方が、『歌舞伎』
元祖と言われております、出雲の阿国です。
出雲の阿国の出自に関しては奈良説、京都説など様々有るようですが、
歴史的資料として一応の評価が定まっている、当時のお公家さん・
西洞院時慶(にしのとういん・ときよし)の日記、『時慶卿記』
慶長五年(1600)七月一日の条には、「近衛殿のお屋敷で、晩まで
出雲のややこ踊りがあった。一人はクニという踊り子だった」
という記述があります。
その当時も、クニの生まれは出雲という感じがあったようです。

話しはゴソッと脇道に逸れますが、この『ややこ踊り』って字だけ
見れば”子供踊り”でカワイイ踊りのようにみえますが、ややこ(子供)の
衣装を着て踊るわけですから、短い丈の衣装は腿が露わになり、見えそで見えない、
何ともエロチックな踊りだったと言われています。娯楽の少ない当時の人々が盛り
上がって見たのも分かります。

『言継卿記』(山科言継の日記)によると、ややこ踊りは“春日大社
でも踊られており、アマノウズメからの流れが脈々と息づいているの
が分かります。

この『ややこ踊り』をお国が演じた経緯は、出雲大社勧進(寄付金集め)
のためだったとされています。
記録によると、阿国は出雲大社の巫女となっていたのですが、打ち続く
戦乱のために社殿が荒廃したため、造営資金を調達するために十人ほどの
旅芸人一座を組んで、諸国を巡回したというのです。

この頃(1600年頃)京都の公家達の日記に度々登場するお国はあくまでも
『ややこ踊り』のお国であり、京都で爆発的な人気になっていく『かぶき踊り』
のお国では無かったようです。

『かぶき踊り』の記述が見られるようになるのは、大体、この三年後の慶長8年
(1603)五月初旬、阿国は京都の四条河原に小屋をかけ、「かぶき踊り」を派手に演じました。
武家の扮装、つまり男装をして舞台に現れた阿国が茶屋娘に扮した男を相手に
踊りをおどったもので、この演出は大衆の心を虜にしたようです。
ムムム・・これは歌舞伎と言うよりも『エロ宝塚』に近いかもしれませんねぇ〜

ほぼ同じ頃、阿国一座は女院の御所へも伺候したらしく、舟橋秀賢の日記にも
女院において、かぶきをどりこれあり、出雲の国の人』との記述が残されています。

「常識離れしている、突拍子もないこと」を当時『傾く(かぶく)』といい、
そうした行動をとる人を「傾き者」といいましたが、阿国の踊りもまた「傾く」
ものであり、阿国自身が「傾き者」として大好評を得たため、この「かぶく・かぶき」
から歌舞伎の名称も生まれたと言われています。

以後、阿国は京で勧進興行をさかんに行い、これを真似た芝居が遊女
によって盛んに演じられるようになって遊女歌舞伎となっていったのです。
このように従来「神に捧げる」ものであった踊りや舞が、阿国の出現
によって「庶民を楽しませる芸能」へと変わっていきました。

阿国自身は慶長12年(1607)、江戸城で勧進歌舞伎を上演した記録を最後に、
史料から姿を消します。

元々、勧進のために踊ったということからか、晩年阿国は出雲に戻ったと
いう伝承があります。
晩年の阿国は尼となって、静かに余生を送ったとされます。

お墓は出雲大社近くにあるのですが、京都の大徳寺の高桐院にも墓
があり、地元の人間の希望的観測でものを言えば、お国には初代と
二代目が居たという話がありますので、初代お国は生まれた土地出
雲に帰り尼になった。二代目は京都で生活し、高桐院に眠っている
と言うのが、三方丸く収まりそうな展開です・・・

現在の歌舞伎の原型と言われている、『野郎歌舞伎』になるまでには、
色々な変遷を辿って行くわけですが、今や文化的にも昇華された歌舞
伎ではありますが、その根っこには、アマノウズメの奔放な踊りの中
に、日本的許容範囲の広い神の大らかさを感じてしまうのでした。