私が操体を学び始めた当初、私自身の中で未だよく理解出来ていないことが一つありました。
それは橋本敬三先生が説かれている「太極の意志」が何なのかということです。
「太極の意志」を理解する上で、SEXという神性なる儀式がとても重要なポイントのように思います。
この「太極の意志」という言葉は橋本敬三先生の著書や三浦先生の中でもよく目にしますが、現象の成り立ちにおいて陰と陽に分極される、その起源が「太極の意志」であり、それは「愛と調和」だとされています。
太極の意志をSEXという観点から見ていくと、種を与えるエネルギー(男)とそれを受け取る器が(女)が必要であり、それが一方通行ではなく、互いが調和しなければ命は誕生しない。このように捉えると分かりやすいように思います。
この「調和」ということを理解する上で、男女それぞれの心のあり方もとても大切なことではないでしょうか?
先日の三浦先生のブログで「陰と陽とはギブアンドギブアンドギブ」と欠かれていましたが、この意味には男と女の間で見返りを求めないこと、私達は太極の意思から受け取れるものを存分に受け取りなさいと言われているように感じました。
橋本敬三先生が「太極の意志」の「志」を「思」という字にしていないのか、というのも男と女の交わりを欲や思考ではなく、神性を持って行いなさいというメッセージがあったように思います。
このように太極の意志を見ていくと、陽から陰の時代に移行に伴い、女性という存在が大切にされているのも納得出来ます。
私は操体の学びを得る中で女性は無条件に尊敬の存在だということを学びました。その中でも自分の母親には特にその想いは強く抱いています。
それは臨床においても同じです。女性に触れるということは神性に触れるのと同じような意識で触れなければなりません。
こういった時代の流れからしても、操体の臨床も楽から快へと移行したのも自然の原理に適っているのかもしれません。