昨日の話の続きになりますが、毎回フォーラムではプログラムの中に般若身経を組んでいます。今回のフォーラムでは実行委員のtaskチームで発表しましたが、毎回参加者に日々進化する般若身経をどのように伝えていくかはとても考えさせられます。
なぜ考えるのかというと、それだけ橋本敬三先生が説かれたこの般若身経は操体を学ぶことにおいてとても重要であり、奥が深いものだからです。
一般的に般若とは「ほとけさまの智慧」だと説かれていますが、橋本敬三先生はなぜからだの使い方・動かし方のルール、法則をこのように名付けられたのでしょうか?
この「般若身経」と名付けられた意味には橋本敬三先生が私達に暗示した裏の意味があるように思えます。
世の中の現象には全て裏と表があるように、からだと表裏一体となっている心にも、この般若心経とは違う、陰の時代に適うルール法則があってもよいのではないでしょうか。
私自身の橋本先生の時代に記されていたからだの使い方、また更に進化している般若身経を自分のからだを通して体感していると、そのヒントは意識の使い方にあるように思います。
意識と無意識、それは表裏一体、陰陽の関係にあり、救いと報いにも繋がってくるように思います。このシャバで生きている限りは意識というのは常に働き、無意識というのは、このシャバを離れた時にあるものだと思います。それを踏まえると般若の意味とは意識を出来るだけ無意識に薄めていく意味があるのではないでしょうか?