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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

①感性、センス、タントラの考察

 テーマは「感性、センス」。 このテーマは、タントラ的に語ってみたい。

 

 ほんの少し郊外に出ると、まわりには数知れない花が咲き乱れている。 そのような自然の中にある全存在は花に満ちあふれている。 そこでは鳥たちも歌っており、花から蜜が降りそそいでいる! そして蜜蜂はその花の蜜を集め、一方で糞コロガシはそれを集め損なっている。 我々人間は蜜蜂なのか、それとも糞転がしなのか? 糞コロガシだったなら、果たして蜜を集める蜜蜂になれるのだろうか? 

 

 タントラは言う、確かになれると! 蜜蜂になるのは、あらゆる人にとっての可能性であると。 人はみんな蜜蜂へと成長してゆくことができるのだと。 型にはまらない、生き生きとした自然な人生、瞬間から瞬間へと生きる人生、それが蜜蜂になるための出発点であり、それがそのタントラ密教の教えである。 しかし、それには自身の感性を磨かなければならない。

 

 もし、感性豊かに過去を引きずらずに生きることができたら、そのとき、人は蜜蜂になる。 そのときには、まわり中に蜜がある。 そのことを糞コロガシに説明するのは難しい。 糞コロガシはそれについて全く何も知らないでいる。 

 

 糞コロガシは、花が咲き、蜜蜂が蜜を集めている木の根元の地べたを這いつくばって生きている。 だが糞コロガシは、その次元、花が咲き、蜜蜂がその蜜を集めているその次元に行ったこともなく、ただの一瞬ですら垣間見たこともない。 

 

 このタントラ・ストーリーは「糞コロガシ」という言葉で過去をもとに生きる人間のことを意味している。 過去に閉じ込められ、思い出に閉じ込められている人間のことを意味している。 過去をもとに生きるとき、我々は、ただ、見かけの上だけで生きている。  真に生きているわけではない。 

 

過去をもとに生きるとき、我々は機械のように生きているのだとタントラは言う。 決して人間らしく生きることはないのだと。 神秘思想家であるゲオルギー・イワノヴィッチ・グルジェフ(1866~1949)が彼のワークで「人間機械」と表現しているのはこのことだ。

 

 過去をもとに生きるとき、それは繰り返しの連続である。 それも変化のない繰り返しばかり・・・・・・。 我々は喜びを、生きること、存在することの喜びを見逃してしまう。 それが蜜の何たるかである。 生の喜び、ただ、今ここに在ることの楽しさ、単に在ることの可能な状態にいることの楽しさ、その喜びが花の蜜なのである。

 

 もし我々が花の蜜をどうやって集めればよいかを知れば、どうすれば喜びに満ちるかを知っていれば、蜜蜂になることができる。 もし知らなければ我々は糞コロガシのままで一生を過ごすことになるのだ。 

 

 この空、この太陽、我々を取り巻くこの人たち・・・・・・。 みんなが尽きることのない蜜の源泉を持ち、楽しさと愛とともに流れている。 それをどうやって集めるか、それをどうやって味わうか、それを知れば、あらゆるところにそれはある。 蜜はあらゆるところにある。 それらはすべて自分の限りないセンスに委ねられている。

 

つづく