東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

体得即誕生

感性とは煎じ詰めていえば、天命軸を感じる生き方なのである。

 天に命じられるがごとき、使命感を自覚する生き方なのだろう。

 
あの福沢諭吉も、「独立自尊」を掲げていたという。
 
それは、何とかしてほしいといった自立心の欠けた発想意識でなく、
自律的な自律の必要を提唱していたのである。
 
また夏目漱石も、倫理の修養を積まないものにとっての”個人主義”は、
あってはならないんですよ、と語っていたそうである。
 
これも、倫理をもって自ら律することになるといっているのだが、
ホントの自分を受けとって活かすならば、そう難しい事にはならない。
 
 
未来も今も過去も、全てを包括している宇宙の意志にも通じていて、 
地球生命体の、ホントの意識を感じる「からだ」のメッセージはある。
 
 
それは、教えてもらってパッとできるような、即席のメニューではない。
確かに”記憶の樽”がごとき即席メニューなら、即席の自己にはなれる。
 
ただ、即席メニュー尽くしの即席の自己で甘んじていられるのだろうか?
 
 
即席では、まず「からだ」は許してくれない。
「からだ」と通じ、ホントの自律とはなにか、問いかけ、成るべく修行する。
 
自律し、伸びる軸は雑草のように、どのような環境においても花を咲かせる。
 
踏みつけられる環境に堪え、水のない環境に堪え、どんなに小さかろうと、
得意とする力を「重力」を通じている軸を感じ取り、持っているのである。
 
だからこそ、見た目の伸びは遅くとも、横に伸び、見えない地中で根を張り、
得意なやり方で伸びていき最後には花を咲かせ、種を残す。
 
そのプロセスは様々。
みんな、虫に食われたり、病気になったり、途中で折れたりするのだ。
 
橋本敬三師は、あの可憐な青い花を咲かせる露草が好きだったという。
 
雑草とは、大きな花を咲かせることに一番の価値を持たない。
 
また倫理を持ち、天命軸を動的自律に至る指導者とは、相手を選ばない。
まさに、天の命ずる生き方を実践するプロなのであろう。
 
それは、連綿と紡いだイノチの意志に添うことでもある。
 急がずとも、値を縦横無尽に生やせばいいのだ。
ホントのことは、コツコツ学んでいれば教えてくれる。
 
 種を植えすぐに芽が出ずとも、指導者であれば、悦びは飽きない。 
 ホントを理解する、その努力を継続できるのが、プロだ。
 
故に「浄福」に極まり、生れてくる前の身分まで理解するのだろう・・・。
 
 
さて、徒然なる一週間のお付き合い、ありがとうございました。
 
明日からは、日下実行委員の登場です、お愉しみにッ!
 

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