感性とは煎じ詰めていえば、天命軸を感じる生き方なのである。
天に命じられるがごとき、使命感を自覚する生き方なのだろう。
それは、何とかしてほしいといった自立心の欠けた発想意識でなく、
自律的な自律の必要を提唱していたのである。
あってはならないんですよ、と語っていたそうである。
これも、倫理をもって自ら律することになるといっているのだが、
ホントの自分を受けとって活かすならば、そう難しい事にはならない。
未来も今も過去も、全てを包括している宇宙の意志にも通じていて、
地球生命体の、ホントの意識を感じる「からだ」のメッセージはある。
それは、教えてもらってパッとできるような、即席のメニューではない。
確かに”記憶の樽”がごとき即席メニューなら、即席の自己にはなれる。
ただ、即席メニュー尽くしの即席の自己で甘んじていられるのだろうか?
即席では、まず「からだ」は許してくれない。
「からだ」と通じ、ホントの自律とはなにか、問いかけ、成るべく修行する。
自律し、伸びる軸は雑草のように、どのような環境においても花を咲かせる。
踏みつけられる環境に堪え、水のない環境に堪え、どんなに小さかろうと、
得意とする力を「重力」を通じている軸を感じ取り、持っているのである。
だからこそ、見た目の伸びは遅くとも、横に伸び、見えない地中で根を張り、
得意なやり方で伸びていき最後には花を咲かせ、種を残す。
そのプロセスは様々。
みんな、虫に食われたり、病気になったり、途中で折れたりするのだ。
雑草とは、大きな花を咲かせることに一番の価値を持たない。
また倫理を持ち、天命軸を動的自律に至る指導者とは、相手を選ばない。
まさに、天の命ずる生き方を実践するプロなのであろう。
それは、連綿と紡いだイノチの意志に添うことでもある。
急がずとも、値を縦横無尽に生やせばいいのだ。
ホントのことは、コツコツ学んでいれば教えてくれる。
種を植えすぐに芽が出ずとも、指導者であれば、悦びは飽きない。
ホントを理解する、その努力を継続できるのが、プロだ。
故に「浄福」に極まり、生れてくる前の身分まで理解するのだろう・・・。
さて、徒然なる一週間のお付き合い、ありがとうございました。
明日からは、日下実行委員の登場です、お愉しみにッ!