東京操体フォーラム 実行委員ブログ

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橋本敬三:忘れられた人間の肉体 操体法の創始と方法

昭和55年、「人間の真理」4月号掲載分:

当フォーラム理事長、三浦寛の蔵書より。
追って人体構造運動力学研究所サイトにも掲載予定です。

この原稿のタイトルは誤植で「操体法」が「創体法」となって
います。

なお、旧漢字を一部訂正しておりますのでご了承下さい。

忘れられた人間の肉体
操体法の創始と方法

橋本敬三 温古堂主


人体基礎構造の調和
私の所には、医師会や薬業会社から、医学論文や医学雑誌が種々送られてくる。そこには、現代医学が最高とするテクノロジーの情報が沢山ある。
近年、コンピューターと直結した CT (コンピューター・トモグラフィ)が登場し、人体の断層撮影が可能となった。今後はポジトロン・カメラの時代(注:PET検査)の時代だと聞く。このように、テクノロジーは果てしなく進歩発展しているように思えもするが、その終る処を知らない勢いには、身震いを感ぜずにはおれない。

最近このような医学の発展に、批判的な考えを持つ人が多くなった。 医者にもそういう人が現われた。目ざましい医学の発展と実地臨床の間には、大きなギャップがある。巨大エネルギーを有して動いている医学が、実際に人類に貢献したことは、細菌学 、免疫学の進歩とそのための抗生物質の発見、外科手術、それに公衆衛生の普及ぐらいなものだと極言する人もいる。見掛けほどに実質の伴わないものの常として、現代医学には何かが欠けている。 一方、湯液や鍼灸に代表される東洋医学は、数千年の歴史を背景に民間に根を張り、その生命は延続している。病院で見捨てられた患者が 、漢方薬鍼灸で治ったという話は決して少なくない。東洋医学は西洋医学より 、人間の全体性、自然性という概念を有しているからである。
鍼灸の古典によると、人体は縦横に走行する経絡により、有機的に機能していると説いている。さらに「上医は未病を治す」といって、発病以前の人間の状態を知っている。人体を解剖して診ることをしなかったので、外側より四百四病の特異性を把握し、体表上の反応点である経穴 (ツボ )を経験で知るようになった。多数の経穴の中にも、どこと、どこの経穴がどのような機能に重要であるかも知っている。
ところが、自然科学から出発した西洋医学も、自然哲理から出発した東洋医学も言及していなかった分野がある。それは人体を運動力学的な構造物として視ていない。また、人間の基礎構造の有する動くことによる調和の可能性を、追求することをしていないのである。このことは東洋医学は知っていたかも知れないが 、あまりに自明すぎて記録に残さなかったのだと私は思っている。こうして大事なことが今まで忘れられていた。


人間は動く建物
人間を四ツン這いにしてみると、家屋構造にたとえられる。手掌、足蹠(そくしょ・そくせき)で四つの土台面を作り、上肢、下肢が四本の柱となり、天井裏が胸腔、腹腔に相当し内臓を納め、脊柱が棟木となる。人間はこのような構造をもって、後足二本で立って歩く。そしてこの建物は、左足を前に出すと、右手も前に振り出されるといったように、身体各部が「連動」するように出来ていて、能率よく動くには法則性がある。
人体構造は機能的に運動系、内臓系、中枢神経系に分類出来る。身体運動、全身支持、中枢神経系と内臓の保持を司る器官を運動系といい、身体の基礎構造になっている。操体法で重視するのは運動系である。それに硬軟両組織があり、骨・関節を構成する組織、筋肉・皮下組織と皮膚が含まれる。
四関という言葉がある。肘から下、膝から下の関節をいう。この四関である手足が下部構造となり、跨関節(こかんせつ)と肩関節で体幹に連結して上部構造の体幹を支えている。下部構造がしっかりしていないと上部構造に支障をきたすことは、構造力学的に理解出来るはずである。下部構造の歪みが、上部構造へと波及し、ここに内臓支配神経の出る脊柱がある故、脊柱が歪むと内臓の機能低下を起こす。東洋医学は、この四関の重要性を知っていた。原穴とか合穴という要穴をここに配している。だが、何故重要かの説明はない。


最小限責任生活
生命体は自然に随順しなければ、生存できない。自然に随順するためには、生き方の自然法則を知らねばならない。そうして、自然とバランスをとって生きるしか仕方ない。
天然、人為の環境内における生命エネルギーの収支は最少限、呼吸・飲食・精神活動・身体運動の四つとなる。この四つの営みは、他人に代ってもらえるものでなく、自己の責任において行うべき 、最少限の責任生活である。この四つの営みは、自然法則を有し、われわれはそれに則って行わねばならない。さらに重要なことは、環境という場と四つの営みは、互いに関係し合って同時相関相補性になっていることである。世に健康法として、調息法(呼吸法)、食養(飲食)、瞑想・座禅(精神活動)、体育・スポーツ(身体運動)等があるが、互いに独立し同時相関相補性の考えがないので、その共通効果は十分発揮されてないのが現状であろう。


疾病から健康へ
自然界に生を受け、快適に満足して十分生きられるように設計されているはずの人間が、なぜ病気になるのか。
人間の健康は、地球上において、呼吸、飲食として成り立っており、おのおのには自然の法則がある。
われわれの疾病への出発は、自然法則に背反した生活から始まる。法則に反した生活を営み、環境に適応出来なくなれば、身体の基礎構造の下部構造、先ず手足に歪みが発生する。法則背反の生活を正さなければ、さらに歪みが上部構造の運動系へと中枢神経を介して連動し、歪みが他の部位の歪みを発生して身体の歪体化が多角的に変化進行する。特に棟木に相当する背骨の歪みによって、内臓の疾病を引き起こす原因になる。
基礎構造の歪みは、漸次、感覚異常となって現われる。いわゆる初発不定愁訴(感覚異常)は多少の差はあれ、最終段階まで併存する。次の段階が機能異常と言われるもので、精密検査によって異常を知ることが可能である。最終段階が器質破壊となり、病名診断が可能な時期である。これが基礎構造に歪みが加算されることによって生ずる健康から疾病への悪化順位である。

ところが、このプロセスは可逆性を有する。基礎構造の歪みを除去することにより、疾病から健康へ逆行可能となる。恢復順序は、歪みから正体へ逆転すると、第一次消去として感覚異常が軽減し感覚は正常化する。次に第二次消去として、機能異常が消失し機能の正常化が計れる。最終正常化は器質破壊の停止及び回復となる。残存していた感覚異常も消失する。ただし、器質破壊の程度により回復、停止しない場合もある。

このように考えると、一般に思われているように、内臓が悪いから身体の調子が悪いという考えは、間違いだと言うことになる。実際は内臓が悪いからだけで身体の調子が悪いのではなく、身体の調子を悪くするような生活をし、それを続けていたから内臓も悪くなったのである。また治療する場合も、肝臓病だったら肝臓を、心臓病だったら心臓だけを治せば、病気が治るという考えも間違い。病気を治すには、先ず基礎構造の歪みを改善することが絶対必要となる。


診療法(動診)と治療法
故に診察の目的は、基礎構造に生じた歪みを見出すことである。その方法として、視診、触診等による形態学的な診察法が一般によく知られている。ところが、歪みは形態的にも運動力学的にも存在する故、もっとすばらしい診察法がある。動力学的に運動分析を行う診察法で、関節を動かしてみて、快適な運動と不快な運動とを識別出来る。不快と感ずる運動とは、その方向への運動系に、何らかの異常つまり歪みがあるということになる。
運動分析するには、運動の分類が必要だが、運動を分類すると、基本的には関節には固有の運動があるが、前後屈、左右屈、左右回旋、求心性の圧迫、遠心性の牽引の八方向の運動が可能である。このおのおのの方向の運動分析を行えばよい。この方法は今まで東西医学にない診察法で、視診・触診と対応させて動診と言っている。
基礎構造の歪みを改善し、歪体から正体化させるための治療法として、鍼灸・指圧・カイロプラクティック等、多数存在する。操体法の治療法は、不快位から快適方向への自力運動を行わせる。こうすると歪みは除去できる。この整復方向は、他の手技療法の整復コースと同一方向で、共に歪体から正体へのバック(逆行)運動である。しかし他力による場合は、名人といえども、基礎構造の原則を知らないとコースを外してケガさせることもある。安全に治療するには、自力運動が最適である。
完璧な治療とは、快適な自力運動を実践し、新たに歪みを発生させないために、自己責任生活を自然の法則に則したものとし、出来たら或る程度環境も適応させることである。要は五つのバランスをとること。そして健康回復後も心掛けて行えば、いくらでも健康増進は可能となる。われわれの生命体はそのように設計されているのだから。

この治療原理も開闢以来、東西医学に記録がない。
「人間の真理」昭和55年四月号掲載