今回のリレーブログは、 『歪み』 がテーマ。
操体で歪みといえば 故橋本敬三医師の 『生体の歪みを正す』 という本のタイトルを思いだす。 その本では、すべての疾患には必ずからだの歪みが存在していると書かれている。 「からだの歪み」 と書かれてはいるが、操体では心とからだの双方における優劣は初めから存在していない。 何故なら、心とからだは融通無碍に溶け合っている一如の存在であり、ここで言う「からだ」という言葉は、心とからだの双方を含めた広義の意味で使っているものだ。
操体の臨床観では、心の歪みはからだの歪みであり、からだの歪みは心の歪みであるという相依相関的な考えに立っている。 だから心の歪みとからだの歪みの相互レベルは調和していなければならないのである。 このような相互総合的な考え方に立ってこそ、本当の健康の創造や病気の治療に対する道筋も自ずと開かれていくのである。 こうした心身の歪みの実体ではあるが、便宜的に「からだの歪み」と「心の歪み」に分類し、今回においては「からだの歪み」に限って考察してみる。
まずからだの歪みについては姿勢を見れば一目瞭然である。 そして動物としてのヒトの姿勢はというと、直立二足形態になっているが、これについて 『からだの設計にミスはない』 という橋本敬三医師の本のタイトルがやはり思い起こされる。 からだの移動、すなわち歩行形態で見ると、四足歩行動物はある意味完成された耐重力姿勢である。 しかし、直立二足歩行するヒトはさらに洗練された耐重力姿勢だということだ。
何故なら、直立二足歩行をするヒトのからだは、柔軟であるが圧縮には強いという背骨の特性を最大限に生かした耐重力姿勢であるからだ。 ヒトにとって最も基本動作である立つことと歩くことは、我々人類がこの地球上でいちばん楽になった動物であることを証明している。
しかし、高速移動することにおいては、チータやシマウマのような四足歩行動物に比較して、直立二足歩行のヒトは背骨の能力を十分に使うことができなくなってしまった。 とはいえ、直立二足歩行特有の皮膚による優れた冷却システムと究極の耐重力姿勢によって、「持久力」という面においては、四足歩行動物と比べて圧倒的な優位に立っていることは自慢に値する。
我々人類の移動において、交通網が発達していない時代では、一日に十里(40㎞)もの距離を移動しながら幾十日も旅を続けることを常としていた。 まして飛脚に至ってはその何倍もの速さで、数百㎞の距離をわずか数日の内に駆け抜けていた。 が、四足歩行動物にとっては、そのような距離の移動はとても不可能だ。 これは直立二足歩行するヒトにとって特筆すべきことである。 まさに、からだの設計にミスはないのである。
ただし、直立二足形態におけるバランス、すなわち姿勢が悪ければ歪みが生じ、ヒトにとって最も基本的な動作である立つことと歩くことですら、からだにとって重い負担となってしまうのだ。 ヒトのからだの歪みについて、いちばんの問題は何といっても頭の重さにつきる。 直立二足形態でバランスのとれた姿勢だったなら、頭の重量のほとんどを背骨で受けとめることができるようにヒトのからだは設計されている。 それどころか、頭の重さを上半身の安定に寄与させているので、むしろ頭はある程度重い方が良いとさえ言えるのである。
しかし、姿勢のバランスが悪いと、からだに歪みができ、頭の重さがからだにとって負担になってくる。 その負担を減らすために、からだは自然に起こす反応パターンとして、腰をエビ状に反らせ、胸を張ったり、腹を前に突き出したりする動きをとるようになる。 そうすることによって、狂ったバランス姿勢である歪みを是正して、少しでもからだを楽にするために、そういった動きの反応パターンを無意識の内に行なっているのだ。
また、アンバランスな姿勢を是正するため、からだは下腿をX字の状態にすることもある。 このX脚とは、両膝の幅は狭くして両足首の幅をそれより広くすることで、仙骨を立てて尻を後ろへ突き出すことができる。 すると、仙骨が丸まって上半身の前に片寄ったバランスを後ろへ移動させることができ、さらに両膝を正中線に引きつけることで、からだの支えとすることも可能となり、筋肉の助けにもなるということだ。
明日につづく