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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

操体は無知(無明)を救う

岡村郁生(おかむらいくお)


仮に『からだ』は困っているから、間に合っていないから痛みを生じて訴えている。

と、考えてみては如何だろう。

(〜『からだ』の本音〜)

『からだ』は困っていればこそ、本人に気付いて何とかして欲しいのだろう。

しかし、本人は知らぬ存ぜぬで『からだの要求』を「無視」している。

仕方ない、とにかく反応しよう!と思ったのか『からだ』は「刺激」でも反応することにした。

『からだ』からすれば、「無視」されるのは「刺激」より残酷なのだから。

そのうち本人は、「刺激」を本人の『からだ』に与えていれば良いんだと決めつける。

疲れてきた本人の『からだ』は、「刺激」に反応するのを少しづつ止めてみた。

きっと本人もいつの日か気付いてくれるはず、と。

そのうち「刺激」にはあまり反応しなくなり、本人の要求は通せなくなり、『からだの無意識』は訴えを大きくなる。

途方に暮れる本人(の欲)と・・・『からだの無意識』。

そこに『からだの無意識』へ救世主現れる! それは『からだ』の要求である『イノチ』へ問いかけた『快』。

『イノチ』は刺激にとりあえず反応しても、本人(の欲)を意識的に変化させる『からだの無意識』までは関与しなかったのだ。

そう・・いままでも、ここでも必要なのは、『抵抗』ではなく『介助』であり、『刺激』ではなく『接触』だったのである。

(次回に続く・・・?)

私も以前はD1専門でありD2を知らなかった。

鍼灸接骨院で開業以来、一年間は第一分析しか知らなかった。

二年目に初めて操体法治療室を読んで興味を持ち、操体療法東京研究会に参加して学び、第2分析を知った。

受け手の『からだ』に感覚をききわけること、操者に一任された操法を行って違和感を生じているのは、

『からだ』だったのであり『快』の意味を感じた。

結局『楽』を通すのは、『からだ』にとっては、本当に『楽』にならない。

『快』を通してこそ『からだ』には、『楽』というバランスもとれてくる。

操体法』を治療法として見ているだけでは『操体』はわからない。

今から『操体法』と『操体』(橋本敬三生の哲学思想・生命観・死生観を含む)を学ぶのであれば、

操体』の応用範囲たるやとてつもなく、だからこそ、本気で、本腰入れて、本音で学んで欲しい。

操体法』には歴史があり、それによってよりシンプルに洗練されている。

まず、橋本敬三先生が体系化されて、同世代の先生が指導される『楽』を通していく『第一分析=D1』

橋本敬三先生の直弟子三浦寛理事長が『操体』を継承し、『快』の具現化して体系化してきた『第二分析=D2』

八方塞がりで全く動けない。こんな場合にはどうするのか?、『操体法』の盲点に気がついた三浦理事長が、

横紋筋系骨格系にアプローチできない感覚を主として、皮膚を含む体壁系に『快』を具現化された『第3分析=D3』

そこに至るには、どういう人間が携わって来たとか、どういう役者達が関与したのだろうか。

ある以上『操体』の文化としての一部であり、実技としての関わりにも納得できる理由を感じる。

少しづつ段階を経て学んでいく。歴史を外すと勿体ないだけでなく、歴史を踏み外すと恐ろしい。

大切なことは、D1D2を飛び越えて『D3=第三分析』から教えて欲しい、などと欲張らないことでもある。

焦らずコツコツと、間をはかることで充分間に合っていればいい。

(つづき)

『イノチ』を通した生命観は、『操体』を学ぶなかで決して外すことのできない『原始感覚』に繋がっている。

『原始感覚』とは『救い』と『報い』に関わり、『操体』ひいては『操体法』を学ぶ上で欠かせない操体用語ともいえるだろう。

 (※紹介:これは”根っこ”であり面白い!橋本敬三先生も顧問だった三浦理事長主催の操体法東京研究会で学ぶのをオススメする)

ワタシ自身の言葉も入れての説明をするなら、『イノチ』は勿論『からだ』の元になっており、(漢方医学的解釈で『元気』に相当)

『からだ』は『からだの無意識』を通して、『本人の意識』と『接触』しているが、本人の欲を含め『心』を入れた『五感』では、

偽りの満足つまり、『刺激』の『快』に妄想を含んでしまうこともあり、

『原始感覚』と繋がっていながらも『五感』は鈍り、曇ってくる。

それは、自在しているのにわからない。太陽が雲に隠れているのと似ている。

その曇ってしまいがちな本人の意識を、

『からだ』の要求に適う『操体法』の『接触』や『操体法』の『介助』によって識別された『快』は、

『原始感覚』を磨き上げ、かつ『からだの要求』を満たすことで本人の要求を満足させてくれるのだ。

よって、今回しつこく書いてきた『からだ』の要求とは、『操体』を学び『操体法』をとおすこと『快』の学びとなる。


操体における己を育てる四訓)

一、『楽』をしっかり学び 『楽』の運動分析の意味を放すな

一、『楽』な運動分析を一旦放せ 感覚分析である『快』は放すな

一、『快』を識別して妄想は放せ 『からだ』の要求する『快』は放すな

一、『意識』を通して『楽』を放せ 意識を通して『快』を放すな

するとどうだろう?自分の歴史を認めている、今の自分自身に出会えるのだ。

突き詰めていくのが哲学、それなら『操体』は自分自身哲学そのもの。

私自身の生命観、死生観を言えば(死ねた瞬間に回想できると仮定)

言い訳もなく、反省を生かし、間にあったのかな〜と微笑みながら、

からだに残った息をあつめきって「ホッ」と一息、最期に『快』を味わいたい・・・そんなことを考えている。

自分で書くのも何ですが・・正直読みにくい(笑)ワタシのブログにお付き合い頂きありがとうございます。


明日からは、『操体』の『操体法』の”編集”実践者、畠山常任理事の登場です。お愉しみに!

それでは皆様、春季東京操体フォーラムでお会いしましょう!
                                      岡村郁生

2012年春季東京操体フォーラム研究会は4月22日(日)東京千駄ヶ谷津田ホールで開催致します。