東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

感謝(初日)

こんにちは。畠山裕美です。
一週間よろしくお願い致します。

 

今回のテーマは「感謝」ということです。

 

何度か人に話したことがあるので、聞いたことがある方もいるかもしれませんが、現代の世の中にも通じるというか、人間の心の闇とか、明るいもの、美しいものに対しての頑なというか、そんなことを考えさせられるエピソードです。

 

私が三浦先生に操体を習う前、一番最初に操体を習ったC先生という方がいます。
その方が、私ともう一人、仮にBさんとしましょう。

 

私とBさんに向かって言いました。

 

「私、気がついたんですよ。橋本敬三先生の本と、三浦先生の本に書いてあることは、愛と感謝なんです」

 

私は、もともと「操体法治療室」の後半(三浦先生のパート)を読んで、操体をやろうと決めていたクチですし、橋本敬三先生の「拈華微笑」(からだの設計にミスはない 76ページ)「釈迦の話を聞いて、一人だけにっこり笑った男(摩訶迦葉。釈迦の十大弟子の一人)」の話も何だか好きだったし、救いと報いの話も、結局「救われた」という話なので、確かに「愛と感謝かも」と思ったのです。

 

が、Bさんは突然怒り出し、C先生に食ってかかりました。


あまりにも凄い勢いだったので、私は止めましたが、それどころではありませんでした。

 

何故「操体創始者と、とその直弟子の本に『愛と感謝』がある」ことが、怒りに繋がるのでしょう。

 

当時は、何故Bさんがあれほど怒ったのかよく分かりませんでしたし、その後縁を切ってしまったのですが、たまに「愛と感謝」という言葉を聞くと、Bさんは何故あれほど怒ったのだろう、と思ったりするわけです。

と、時が流れ、ある本を読んでいて「あ、なるほど」と思ったことがありました。

 

一つの説は「愛と感謝」という言葉に過剰反応していた。つまり「愛と感謝」に飢えていたのではないかということです。

 

もう一つは、最近の話ですが「特定の遺伝子」の中に「人に同情されると怒りが湧き起こる」というのがあるそうで、それが「愛と感謝」という言葉を聞いて発動したのかもしれません。

 

もう一つは「愛と感謝」を聞いて「偽善」に思えてしまう、何かの理由があったのでしょう。

 

いずれにせよ、愛と感謝という言葉を聞いて激怒するというのは不思議なことですが、そんなこともあるのです。

 

 

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