東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

わたしにとって食べるという事

こんばんは、まだまだ寒い部屋から小代田です。今日は愛鷹山も真っ白な雪に覆われ、寒い一日でした。皆さん今日はどんな一日でしたか?
今日も部屋が寒いので少しでもからだを温めようと生姜やらたんぱく質やらをせっせと取り、セーターを重ね着し毛布にくるまっている小代田です。
今日は最終日です。何を書こうか迷いまいしたが、今日は私にとって切っても切れないテーマ、食について少し書いてみようと思います。
私「食」というか食にまつわる全てが好きなんです。引っ越しの荷物を運んだ時も洋服や他の荷物は手伝ってくれた弟もびっくりするほど少なかったのですが(女子あるまじきという意見もありますが。TVもないですし)、鍋やらボールやら調味料やらと食事に関するものはしっかりと持ち込み、自分の食意地の強さに苦笑いしてしまいました。

皆さんはご飯を食べるのは好きですか?そしてどんな食事をとっていますか?食は操体でも大切だとされていますが、皆さんは自分が食べている食事について考えたことがありますか?
食については私もまだまだ勉強途中なのですが、今は食について(「どれが良い食事なのか」とかですね)少し勉強を中断しています。理由は2つあるのですが、ひとつは食について考えすぎて道に迷ってしまったこと、そしてもう一つは…こちらはまた機会があったらお話したいと思います。なぜ私は道に迷ってしまったのでしょう。

一時期いろいろな食療法について調べていた時期がありました。学び始めた頃、あれは駄目、これも駄目、これは血が酸性になる、これはからだが冷えるから駄目など過敏なぐらい食に対して神経質になってしまいました。正しい食事をしなければと躍起になり、その「正しい食事」というものを探し続けました。
でも学びを進めて行くうちに分からなくなってきました。それは母が作ってくれた料理にも「これは良い、これは駄目」と言い始めた自分に気がついた時でした。それが(そんな自分)が何だかとても嫌に感じてしまったからです。

そもそも悪い食事なんてあるのでしょうか?肉にしても卵にしても私たちが出されたものを「からだに悪いから」と食べなかったら、私たちのために大切な自分の命をくれた豚さんであったり牛さんであったり鳥さんであったり、彼らの命はどうなってしまうのだろう。
からだが冷えるからと言って敬遠された野菜さんや果物さん、そして彼らを一生懸命育ててくれた人達の思いや労力はどうなるのでしょう。
添加物が入った調味料やお菓子なども同じ、物の先にはそれぞれの思いと努力がある。母の料理もそう、私や家族への思いがある(時にはそう思えないような時もあるけれど)。そう思ったら良く分からなくなってしまいました。

今は自分がその時食べたいと思うものを有り難く美味しく食べるようにしています。もともとお肉を好んで食べる方ではないけれど(なぜかステーキとかを食べると眠くなるのです)、食べたくなった時は取るようにしています。野菜もその時美味しいものを教えてもらったり、スーパーで見たり、そうやって旬の物を学びながら食べています。。調味料はなるべく自然界にないものが入っていないものを取るようにしている(自然にそうなってしまいました)。そして今は母が作ってくれた料理は何でも美味しく有り難く食べています。

そうしていると寒い冬にからだが冷えると言われる夏の野菜が食べたいとは思わないし、お菓子やジュースも嗜好品程度に欲しくなる程度でいつも食べたいとは思わない。疲れた時は苦手だった果物や梅干しが食べたくなるようになってくるし(不思議とこれもこの季節、南国の果物を食べたいとは思わないのです)。つまり食べ物が良い悪いのではなく、私たちが何を自分たちのために選択するか、そしてどれだけその食べ物とその後ろに繋がっている人達に感謝できるのかということではないのかと思う。

話は少しそれてしまうけど「食息動想」この中で食って特別だなって感じる。この中で人のそれに関わることができるのは食だから。
例えば甥っ子の息(呼吸)は変わってあげれないし、しょちゅう腰を痛めたと言っている父の動(動き)を変わってあげることは出来ない。それに母や友人の想(精神活動)に触れてあげたり思いやってあげることは出来るけど変わってあげることは出来ない。でも食は作ってあげたり一緒に食事を取ることで共有することができる。
ご主人のために、子供さんのために、友人や家族のために作る料理は彼らのからだを作り、そして心を作る。家族や自分のからだを思い、喜ぶ顔を願って作ったご飯。こんなご飯にこころは反応し、そしてからだも反応するんじゃないか。そしてその栄養を正しく吸収してくれるのではないかと思う。
でも「だからこそ」食を考え、きちんとむかい合うことはとても大切なことなんじゃないかなと思う(頭で美味しいものとからだが喜ぶものは違うと思うから)。

春の分科会では福田さんと食についてのお話をさせて頂くことになった。まだまだ食を語るなんて恐れ多いのだが、皆さんと食について一緒に考える機会を頂けたということはとても幸せなことだと思っている。

ちなみに私は「食事」より「ご飯」て表現の方が好きなのです。「ご飯」の方が美味しそうだから。特別なご馳走でなくて良いんです(たまには食べたいですけど)、そこにいる誰かが切ったり煮たり炒めたり、そうして手をかけてくれた「ご飯」が最高に美味しい!と思うのでした。

最終日の今日、ただの食いしん坊の話になってしまいごめんなさい。でも「食って大切なんですよー」ともう一度叫んで今回のブログは終わりにしようと思います。
引っ越し初日の情けないブログから今日の食いしん坊のブログまで一週間お付き合い頂きありがとうございました。

では私の食いしん坊の話でしめるのも少々気が引けるので最後に皆さんにとっておきの情報をいくつか!
http://www.youtube.com/watch?v=UA0QASrTQvU
http://www.tokyo-sotai.com/
http://blog.teizan.com/index.php?blogid=453&archive=2010-1-26

ではまた次回(その前に春の分科会で)。

今日もお疲れ様でした。明日は久しぶりの晴れマーク、どうぞ良い一日を。


小代田綾