私は1954年(昭和29年)生まれ。この年には、日本映画を代表する名作が2本生まれています。
黒澤明監督の「七人の侍」本多猪四郎監督の「ゴジラ」。映画通ではない私が選ぶ世界で一番の映画は、「七人の侍」。
そして、世界で一番のSF映画が、「ゴジラ」。
この大作を背負って、まあ〜私の人生があるわけです。
特に、「ゴジラ」は1954年3月1日にアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験で第五福竜丸が被爆したことをもとに作られたものです。
ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた生物が、水爆実験の影響で住んでいた環境を破壊され、地上に現れたとも、数々の水爆実験で放射能を浴び巨大生物と化したとも言われています。
ゴジラの襲撃に逃げ惑う人々が、今回の東北・関東大地震での津波・放射能被害を被っている人々と重なりあい・・・大惨事を予言しているようで・・・・
あらためて「ゴジラ」の存在意議を考えさせられました。
さてこの「ゴジラ」名前は、クジラとゴリラの中間。
得体の知れない生物は、様々な動物の特徴を持ち合わせて表現されることがあります。例えばカッパ。
カッパは河童と漢字では書きますが、私には、カエルと子供の中間的な存在に思えます。
ゴジラにしてもクジラのように海から生まれ、ゴリラのようパワフル。言葉からのイメージが不気味な怪物を連想します。
日本には、縄文から受け継いだ思想の根底に、山や川には魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住むといわれ、妖怪、化け物の存在があります。ですから、ゴジラが社会的大事件の起こった後に、出現するのはある意味、当然であるとも考えられます。
では、獅子舞の獅子(シシ)。シシは元々肉を意味するもの。肉を食べることのできる動物をシシと呼ばれたようです。イノシシはヰのシシ(鳴き声がイ〜というのでヰ)。鹿は元々、カと呼ばれてカノシシと呼ばれ、それがシカになったようです。クジラの脂がのった肉を鹿の子(カノコ)というのは、その模様が鹿の子に似ているためだと思います。
とにかく、食用の肉をシシと呼び、そのシシを提供する4本アシ(四肢=シシ)の獣を敬い、恐れそれを形にしたのが獅子舞のシシだと思います。
私の育った愛媛での獅子舞は、2人が1体のシシとなり、緑色の背中に対し腹は赤。まるで龍の様相、ところが、尻尾はイノシシ、頭は狛犬。
よくよく考えると、全く不思議なモノノケであります。
初日にチの語源をチ(霊)と同源とみなすとありましたが、
チ(霊)と対立するのがシシ(肉)であれば、シシ(肉)を通してチ(霊)を尊ぶという図式が祭りにはあると思います。
さて、これまで長々と性に関係ないことを述べてしまいました。
ただ日本の祭りは五穀豊穣を願うため性を大らかに表現していることが多く、祭りを語っているといつの間にか性を語ることになります。
たとえば、祝いごとにはつきもの・餅つき。
餅米一粒一粒がセックスの賜(たまもの)。その結実を火と水で蒸し、石臼と木製の杵でこねる。
これを、五行思想からみると、木=杵・火=釜戸の火・土=土から生まれた餅米・金=石臼・水=蒸し器の水。
宇宙の象徴といえる空間。この場で、父親が杵を持ち、母親が餅に水をかける。
「ヨイショー、ヨイショー」
家族総出で、声をかけあっての餅つき。
餅をこねるのは、石臼という女性性器に、杵という男性性器の結合を意味し、杵を持ち上げ石臼の中央部を突くのは、性行為そのものを意味します。掛水をするのは、大前庭腺(バルトリン腺)から粘液。
このように考えると、餅自体が生命力の象徴となります。これを、神棚にお供えすることは、子々孫々の繁栄祈願であり、
餅蒔き(もちまき)はその行為であります。
モチを、茂・血と考えると餅蒔きの意味合いが色濃くなります(もっとも、これは私の偏見に満ちた解釈です・・・)。
また、きめの細かい白い肌をもち肌というのは、日本人の餅を敬う心が表れています。
このように、日本古来の風習には先祖を祭り、子孫の繁栄を祈る心が根底に流れています。そのため、性をおおらかに謳(うた)いその行為を形式美として作りあげているのです。
これらの風習を幼児のころから体験することが、性教育。
日本には性教育が遅れている・・・・といわれていますが、実は脈々と流れていたのです。
ところが戦後の高度成長を機に、これらのことを葬り去ったのです。
3月11日の未曾有の大震災をうけた日本。亡くなった方々の魂を思い、今一度日本のこころを一人一人が考える時に来ていると思います。
今日はここまでといたします。ありがとうございました。
佐伯惟弘