東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

フーテンの寅さん

実家に帰り、母親に初めて操体・渦状波(皮膚へのアプローチ)をしました。

「どんな感じ?」
「何やら、電気が走るような・・・何が起こっとるんじゃろ?・・と考えらあい」
「考えんようにしてや・・・ぼーっとしたらええけん・・・得意じゃろ?」
「得意じゃ!」
・・・・・
「どんな感じ?」
「何か、ゆるんどる気がする」
「それで、ようなるんよ」
「頭が?」
「・・・あのな、からだが・・・」
「頭がようなったらええのに!」
「・・・・」

「どんな感じ?」
「宙に浮いとるなあ〜、どこの司令塔が働きよるんか知らんけど・・・別の世界が来とるなあ〜」

素直な子供のような感性・・・ありがたい母親です。
私の指先と母親の皮膚を通して成り立つコミュニケーション。これこそあらゆる生き物が必要としている接触なのだと思います。
肉体、言葉を通してそれを超えた霊の世界へと通じる接触。
渦状波においては、患者・施術者が接触面を通して、感応し合いながら生命本来の方向性へとベクトルを向け合います。

夫婦・恋人同士ならば、その接触がまぐあいとなり肉体的なからみが深遠になります。しかし、もっとも大切なのは相手を慈しむ心。

性・・・立心偏(りっしんべん)に生きる・・・セックスとは、心が生きると書きます。
♂と♀がまぐあいをする・・・まぐあい=目合いと書きます。
目が合うことがいかに大切か・・・実はこれが、本質。
つまり、セックスとは目を窓口にした脳=心の生き生きとした絡み合いであり、その愛し慈しむ心を見抜く目と感性が最も大切。

私は引っ越しすること30回以上。まるで「フーテンの寅さん」であります(本人は、自覚なし)。そんな兄貴を持った縁か、弟は「フーテンの寅さん」シリーズのCDを収集しており、二人でゆっくり見ました。
その代表作「男はつらいよ」(第一作)
20年ぶりに葛飾柴又に帰ってきた寅さん。美しく清楚な妹・さくらを見て感激し・・・さくらのお見合いに立ち会うも、寅さん酩酊・・・ハチャメチャ・・・隣りの工場で働く博(ひろし)が、さくらに好意・・・寅さんが恋の説法を博に・・・
というくだりがあります。
「博、女をくどくのは、目だよ目。」
「最初は、目をそらしておいて、目を合わせる。相手がうろたえたところを、もう一押し、目にものを言わせる。」
「何って・・・ですか?」
「そりゃ〜もちろん・・・I love you さ!」

寅さん愛の極意は、まさしくまぐあい=目合いであります。
私の失敗連続の恋愛経験からして、この極意は実に正しいと思うのですが、実際には、難しい。

次のシーンは、寅さんがマドンナ(御前様の娘・役:光本幸子)をボートに乗せ、小さな目をパチパチとI love you光線。

「あら〜、寅さん・・・目に虫でも入ったの?」
         ・・・・・

それにしても、寅さんのプラトニックラブほど、温かく、時に大胆で、常に繊細、優しさに満ちあふれたものはありません。
私が目指すはこの境地・・・かも・・・いや・・そうです。

私は、今回の大震災を機に実家の神社(惣河内神社)に帰りました。あらためて私の生き方を問い直しています。
不思議なもので、帰った当日、神主をしている従兄が訪れ、新築した社殿を見にくるよう誘われました。
そして、その神社(川上神社)が持つ地のパワー(イヤシロチ)を実感。
そして、弟からは一冊の本を手渡されました。
「魂の叡智」日月神示 中矢伸一(徳間書店
これは画家・岡本天明の「日月神示」「ひふみ神示」「一二三」とも呼ばれる自動書記に関する解説書。
そのなかの神示。
「半霊半物質の世界に移行するのだから、半霊半物質の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響さえない新しき生命が生まれつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ」

一週間のお付き合い、大変ありがとうございました。
明日からは、仙台出身の平直行さんにバトンタッチです。
平さん、よろしくお願いいたします。



佐伯惟弘