柳生心眼流では、日本古来の人体構造を学ぶ。
柳生心眼流の時代の人体構造は、現代の物ではない。
解体新書が入ってきたのが江戸時代。
その遥か前から武術は存在した。
武術が道場として機能し始めたのは、室町時代の後期。
もちろんそれ以前から武術は存在した。
戦国時代が少し収まり、平和が訪れた頃に武術を教える事が始まった。
本当の戦国時代には武術は、門外不出一族の秘密だった。
命を守る為の知恵を、他人に教える事は決してなかった。
世の中が落ち着き、余裕が産まれたから、道場が始まった。
同じ時代に茶道も盛んになったりしている。
解体新書とは違った身体観で武術は使われる。
西洋医学が入ってこなかった時代、治療家と言えば武術家を指した。
殺法を学び極める事で、可能となるものが活法。
武術家の学びとは、人体構造を学ぶという事でもあった。
その時代に武術家の学んだ、人体構造は現代とは全く異なる。
多くの手技両方の源流は、武術家が行っていた活法に、源流を求める事が出来る。
現代の医学の知識では残念ながら、武術の源流は使いこなす事は出来ない。
筋肉という言葉は、解体新書以前には存在してはいない。
筋肉は筋と呼ばれていた。
筋と筋肉が同じ物であれば、解体新書は筋と訳されたに違いが無い。
違った言葉を作り出した理由は武術を学ぶと理解出来る。
筋を傷めた、筋を違えた。
筋金入りの身体。
この言葉に、武術の人体構造の源流を見る事が出来る。
その源流から、現代の手技療法も派生している。
だから、武術の時代の人体構造を知る事で、分かる事が当然在る。