東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

生命エネルギーのインプット〜その二〜

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」(道元禅師)
夏になれば私のまわりにも、ホトトギスは飛んできて鳴いてくれます。
もちろん、夏にも花は咲きますし、夏にも月はありますよね。
さすがに雪はありませんが、現代の冷蔵庫のなかにはいつでも氷があります。
そんなとき、私はこのうたを想いながら諳んじているのです。
こだわることなく、おびえることもなく、とらわれることもなく、わざわざすることもなく、
生かされていることで、ただただ味わっていられること、その一つ一つに価値を求める意味は何なのだろう・・・と。

さてさて、(語調チェ〜ンジ)脱線しないうちに元に戻しておこう。今日は橋本敬三先生の聖書の一文に関して考察してみたい。(先日の続きです)
「主なる神は、土(アダム)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」とある。
・・・いうことは、人も天然、自然の働きから生じている。
橋本敬三先生も哲学思想で語っているように、”人間は人間が創ったわけではない”。
要するに、物質的に”土の塵”のように出来ていて、肉体としての物質は「土」に返る。ここに人としての例外はない。
ワタシ達は物質的な存在でもあり、またそれだけで出来ているのでなく、
まさに「イノチ」そのものでありながら「からだ」を存在させている生き物なのだ。
つまり、「息」を吹き込まれることによって、初めて生かされている「人間」になれるのだろう。
多くの科学者によれば、細胞となるの原材料を全てそろえておいて、そこから「イノチ」を吹き込もうと人間がどんなに努力しても生命は生まれない。
今、自在しているからこそ、存在しているのであって、その「イノチ」は循環を伴い活動している。
つまり、「イノチ」以外のものからは、「息」が通らないということになる。
だから最先端の研究でも、皮膚や胎盤から、生体間での移植からの研究が続いているのである。(フランケンシュタインは未だ存在しない)

もう少し続けてみよう。
ここでまた問題になるのは与えられた”青草”の意味である。
ワタシ達の本質とは、現象としての物質的な存在であると同時に、それだけではない。
WHOの憲章でも、健康の定義に関して「人間」というものは「霊性」に関わっている存在との提言もある。
青草の後、人間が肉食を許され、現象化した肉体を持つ意味は、ミクロであってマクロの相似象。
この生命エネルギーのインプットには分類がある。

操体」では「息」と「食」は生命エネルギーのインプットとなっているのだから、青草というのは単純に植物とイコールではないのだろう。
肉体の充実は確かに肉食で養われていく、確かにその通り、間違いのないことでもある。この事を橋本敬三先生は「体力をつける」という。
しかし、橋本敬三先生の述べたこと(肉食過多注意)とは人間的欲求の裏付けとになり、「体力をつける」ことと、「健康を維持」することの識別を説いているのだ。
ここに「食」統制の必要性とバランス。人間として存在するうえでの肉体維持、つまり、「食」のインプットをバランスよく制御する必要性も生じる。
なぜなら、その「食」の前に「息」という”第一エネルギーのインプット”は自在しているのだ。

ワタシも橋本敬三先生の愛用されていた、(砕いたガラス様繊維の入らない)熊笹から抽出した葉緑素の一つを愛用している。
それはともかく、体表における皮膚組織、そして消化器系や呼吸器系の粘膜上に存在しているような組織、
つまり、”空気と直接接触している”組織は、もともと”刺激”に対しては反応するしくみを持っているのである。
気道に異物が入れば吐き出そうとするし、基本的に腐っているものに対しては目を閉じて口に入れても吐き出す。
特に小さな子供の”原始感覚”は素晴らしい。思考による観念は薄いので「からだ」の要求感覚に適う。

ここで取り上げた”皮膚”と”小腸の粘膜”、鼻腔からの外呼吸と、体表と体内の皮膚の呼吸を”内呼吸”とすれば、
ここに循環するものは、”自然”であるからこそ、自然な循環も成り立っている
つながりは「人間」にとっての青汁。この要素は「食」だけでなく「息」として捉えて欲しい。
なぜか?それは橋本敬三先生も興味を示されてた「千島学説」にも関係していると私自身は考察する。
特に植物と動物のつながりを考えても、細胞内ミトコンドリアの取り込まれた意味とクエン酸回路。
この回路における酸素のエネルギー循環と、無酸素で行われる解糖系エネルギー循環の意味を「息」として相関性を考えてみるといい。

さらに小腸粘膜における腸壁の状態は、個人の内部「環境」と言えるだろう。
例えるなら、消化器系の口腔内〜歯〜から始まり、食道から胃、十二指腸から小腸の絨毛から吸収される”栄養素”の「食」に相関している。
つまり自己責任における内部環境は、内部においても自律可能というわけであり、ここから吸収された赤血球成分の形状まで学んでみると面白い。

自己責任生活において関連している「環境」、この同時相関相補性として「息」と「食」のエネルギーインプット、
この現象変化としてみる赤血球、飲食、葉緑素、呼吸と環境の関係には注目に値すると思う。

さて本日の「ケイゾーコード」もお時間となりました。続きは千夜一夜かな・・・明日にお会い致しましょう。ありがとうございました。


海岸清掃時に集めた綺麗なガラス。地元の有志の店ではお金としても取り扱います。素敵ですネ!