幼少から書道、野球、サッカーと様々なことに取り組んできましたが、あえて上手い、下手どちらかに分類するならば下手な方だったと思います。
それは自分がやりたい、上手くなりたいと思っていること全てに共通していて、意外と上手く出来ることにはさほど興味がありませんでした。それは上手く出来ることから得られるものが少なかったからだと思います。
下手だからこそ、自分の意識やからだの使い方を一つ一つ見つめて直していく。その反復から身に付けたものが「上手い」に繋がる。それが面白いからやっていることが好きになる。
そういった自分の過去の経験から上手く出来ることが必ずしも良いことではないように思えます。下手だからこそ得られるものは大きいようです。
これがいきなり出来てしまったり、誰よりも秀でた結果を出してしまっては野球にしても、サッカーにしても今でも好きではいられなかったと思います
下手のプロセスがあったからそこから得られたものは生涯の宝として持ち続けていられる。それはすぐに上手く出来たことよりもからだや感覚を通して身に付けているからです。
このように捉えていくと、何をするにしてもプロセスがない成功というのは必ずしも良いことではないように見えます。これは野村元監督も著書でも同様のことが書かれています。
そういった意味においても上手い、下手という結果に右往左往せず、少しずつ、少しずつ、自分と向き合って、その過程にあるプロセスがあって本当の意味で「身に付く」があるのはないでしょうか?
最近の私も「上手くいった、いかない」という目先の結果に捉われず、本当に自分に「身に付いた」というもっと先の結果とプロセスを大切にするようにしています。