部屋の「灯り」の話です。
夜、散歩をしていて、ふと、家の外から自宅を眺める。
すると部屋の灯りがついていて中の様子が外から良く見えている、ことに気付く瞬間があります。
目隠しのつもりでレース地のカーテンなどつけていても、以外と部屋の灯りがついていると外からは中の様子が見えている。
人の家で目に入ってそれほど気にならないものが、自分の家だと新鮮に感じるものです。
「ちょっと恥ずかしい」とその時は思い、そういうことは度々気付くのですが、普段家のなかにいるときにはすっかりそのことを忘れてしまっている時が多いように感じます。
場面は変わって、例えば深夜の室内。
ちょっと喉が渇いて、灯りを付けない暗闇のままの台所に向かう時。
何気なく薄地のカーテンの閉まっている窓から外を眺めると、隣の家の電気がついていて予想以上にその様子が見えている、ということもあります。
部屋の灯りがついている時にはまったく気付かないのですが、灯りが消えていて室内が暗いと、外の世界はまったく違う見え方に変化するんですね。
当たり前のことではありますが、とても不思議に感じます。
これを「からだ」のこととして眺めると、「臨床」にも似たようなところがあるような気がします。
「操者」の方に「灯り」がついていると、逆に「相手」や「相手のからだ」からはこちらの様子がまる見え状態。
逆に操者側の余計な「灯り」を消すことで、素直に見えてくるもの、見せてくれるものがある。
似たようなことを、度々師匠から言われてきました。
この「灯り」に何が当てはまるかは、ご想像にお任せします。
2016年11月23日(水)勤労感謝の日
今季のテーマは「膝と進化した操体」です